私は香椎で産まれました。

母が私を身籠っている時に住んでいた場所が香椎です。

 

自分の産土神社を調べるとき、GoogleMapで産まれた場所近くの

神社を探していました。

香椎の辺りは神社が少なく、多分私の産土神社は香椎宮だろうと

思っていました。

2010年、はじめて香椎宮へ訪れた時

立派で素敵な神社ではあるけれど、懐かしいような感覚はなく

拍子抜けしたような気持になったことを憶えています。

 

暫くは神社離れしていましたが、

今年に入って突然、産土神社をちゃんと知りたくなり

自宅の鎮守神社の宮司さんに訊いたり

神社庁へ電話したり、香椎宮の宮司さんに訊いたりしました。

全員が私の産土神社は「香椎宮だと思う」と仰いました。

産まれた場所の担当神社の区画がそうなっているそうです。

 

いくら区画でそうなっているとしても

私にはピンときませんでした。

 

今年に入って名島神社の存在を知り、行ったことはなかったのですが

そちらが私の産土神社ではないかな?と思いました。

行ってみるとやはり懐かしい気持ちになり、心がとても落ち着きました。

 

答え合わせで、産土神社鑑定士に依頼した結果

「名島神社」が私の産土神社と出ました。

 

香椎宮へは今年の3月、初参拝の名島神社の帰りに

寄らせていただきました。

前回が2010年でしたので7年振りの参拝です。

 

かしいぐう

住所:福岡県福岡市東区香椎4丁目16−1

「香椎」の名は敷地内に香ばしい香りの
「棺懸(かんかけ)の椎」が立っていた事に由来するといいます。
香椎廟。香椎神宮と呼ばれることもあるそうですが

正しくは神宮ではありません。
これは最寄りのJR九州の駅名が1988年に
「香椎神宮駅」とされたことに由来する誤謬(ごびゅう)だということです。

ちなみに香椎宮の「香」は私の本名(名前)にも含まれています。

香椎宮は日本全国に16社ある勅祭社のうちの一社です。


これより参拝させていただきますペコリ


✱楼門✱



主祭神は仲哀天皇と神功皇后。
夫婦ですね。

この日、そこまで人でごった返していたわけでもないのですが
順番待ちでお参りさせて頂きました。

こういうことは太宰府天満宮以外ありません。

  

✱綾杉手前の狛犬✱ 2010年3月撮影

お顔が極端に小さいです。

✱臥龍梅(がりゅうばい)✱ 2010年3月撮影

巨大な龍が寝ているような姿から「臥龍梅」というそうです。

✱綾杉✱

 

✱綾杉✱ 別角度から

神功皇后の三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、
「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝を
その上に挿したものが現在の大木となったとされます。
普通の杉と葉の形状が異なり、
綾状になっていることからこの名が付いたといいます。

 

産土神社の話に戻ります。

産土神社鑑定士の方からのメールにはこのようにありました。

 

香椎宮のような大社は

あまり個人の産土神社になることはないんです。

そもそも役割が違うんですね。

こういうケースでは多くの場合でその近くに

産土さまが存在しています。

佐月さまの産土さまは

地図では最初見つからなかったのですが

地域で強く反応を感じました。

そして導きにより絞り込んでいったときに判明した次第です。

とても素敵な神社ですね。

参拝を通して、よりいっそう絆を育てていただければと願っています。

 

「地図で最初見つからなかった」私もそうでした。

✱神紋は「十六八重表菊」✱ 2010年3月撮影

 

香椎宮で宮司さんに私の産まれた住所を伝え、

産土神社がどこだと思うか尋ねると
「住所に香椎という文字が入っているし、香椎宮だと思いますよ」と

仰いました。
そして「あそこ(私が産まれた住所)は以前は埋め立て地でしたからね」と
仰いました。私は心の中で「だからなんだというのかしら??」と
思いました。

埋め立て地だったから何なのか、もっと突っ込んで

お訊きすればよかったです。

その日は宮司さんの言葉が腑に落ちず、少しガッカリしたような気分で
香椎宮を後にしました。

✱御朱印✱
 

関連記事『名島神社』

 

ポチっと応援ありがとうございますはあと

画像をクリックしてね

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

八百万の神々も喜びますうさぎ