水天宮からほど近い、筑後川対岸の佐賀県に位置します。

 

住所:佐賀県三養基郡みやき町白壁2403

千栗と書いて「ちりく」と読みます。

「ちくり」ではありません。

 

✱狛犬✱

 

✱一の鳥居✱

これより参拝させていただきますペコリ

146段の長ーい石段を昇ります。

石段の横には『栄光への石段』とありました。

バルセロナとアトランタの両オリンピックで
金と銀のメダルを受けた古賀稔彦さんが少年時代

くる日もくる日も、この石段をかけ昇り、かけ下ったそうです。

 

この石段、結構キツかったですあせo

✱二の鳥居と茅の輪✱

 

✱手水舎✱

 

✱拝殿✱

 

◆御祭神

應仁天皇、仲哀天皇、神功皇后

 

配神

難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰

 

◆御由緒

肥前国一宮。

なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むか。

聖武天皇の神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が

千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて

弓の先に止まりました。

その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、

「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。

翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から

栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、

「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。

承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、

以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の

一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の

勅頼を賜りました。

 

 

✱本殿✱

 

✱御神木✱

 

✱お粥堂✱

3月15日の粥祭は「おかゆさん」ともいい、

粥を使ってその年の豊作・凶作を占う粥占である。

2月16日、社前の祓川の水で粥をたき、

筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す4つの鉢に分けて神殿に納める。

3月15日に取り出し、黴の出方を見る。

五色の黴の生えた方角がその年豊作になる地方であるとする。

✱武雄神社✱

 

✱鳩森稲荷神社✱

 

✱展望台からの景色✱

人気の神社のようで、境内には割と参拝客がいました。

宮司さんは社殿に向かって左側の建物にいらっしゃいました。

✱御朱印✱

初穂料は「お気持ちで」とのことでした。

 

これにて8月1週目の週末、神社巡りは終了です。

ご覧くださりありがとうございましたおじぎ