5月14日の昼寝時に夢に出てきたキーワード「妙見神社」。

 

ググって一番上に表示されたのが、

北九州市小倉北区足立山麓に鎮座する妙見宮(御祖神社)でした。

 

母親の生誕地近くでもあるし、夢に出てきたということは

何かあるのかも?と思い、行ってきました。

 

母親に「一緒に行く?」と誘ったのですが

アッサリ断られました汗自分の生誕地とか産土神社とか全く興味ないそうです。

 

あだちさんみょうけんぐう(みおやじんじゃ)

住所:福岡県北九州市小倉北区妙見町17−2

 

 

足立山(あだちさん)が見えてきました。

 

駐車場の辺りでアサギマダラ(蝶)が優雅に飛び回っていました。

 

これより参拝をさせていただきますペコリ

 

 

✱狛猪✱

猪が神の使い手として信仰されています。

✱手水舎✱

人を感知して水が出るタイプでした。

◆御祭神

造化三神

 ∟天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神
鐸石別命(ぬてしわけのみこと)

和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)

✱拝殿✱

「足立の妙見さん」として親しまれている当宮は、和気清麻呂公が

宝亀元年(770)に創建した神社です。
「妙見さま(造化三神)」は、北極星・北斗七星が神格化した星霊信仰の御本尊で
天空の中央に位置し、「北辰尊星妙見大菩薩」として現在も広く信仰されています。
宝亀三年(772)、国司・大伴百世の助けで、葛原蜂が坂の足立に

下宮「足立山平愈寺」を建立し、弘仁八年(817)には清麻呂公の三男

参議真網卿が宇佐に勅使として参った帰り、下宮に父・清麻呂公と祖先の神霊を

祀りました。
慶長6年(1601)下宮を現在の地に移し、明治以降、神仏分離布告の為、

上宮・足立妙見宮並びに下宮・足立山平愈寺を「御祖神社」と改称しました。
昭和二十年(1945)以降、「足立山妙見宮」を再称し、かつ「全国妙見総本宮」
追称して現在に至ります。
当宮は、和気清麻呂公の足が治ったことから、足の神様として多くの人々が

参拝に訪れます。また、国家・社会・個人の祈願所として性格をもち、

神仏習合の名残を現在に伝える、全国でも数少ないお社の一つです。

(境内掲示板より)

社額には御祖神社(みおやじんじゃ)とあります。

 

✱薬師堂✱

室町時代の作と言われる虚空蔵菩薩、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の

古い仏像4体のほかに2体、合計6体の仏像が置かれています。

 

 

稲荷社が3社お祀りされていました。

 

  

✱玉姫稲荷社✱            ✱高倉稲荷社✱

 

✱大学稲荷社✱

 

✱神楽殿✱

 

境内からは小倉の街と門司港が臨めます。

 

和気清麻呂公像・上宮へ続く参道

 

✱猪に乗る和気清麻呂公像✱

猪と仲が良かったのですね照れ

こちらの像の右手より、妙見宮上宮へ続く参道がありました。

片道徒歩約80分だそうです。私は今回はここまで。

✱御朱印✱

宮司さんのこだわりとして、『妙』は最後にはねる。

龍のしっぽをイメージし、『見』も最後は上向きにはね、

運気上昇を祈念しているそうです。

✱御朱印帳✱

 

参拝中も、参拝後もなぜ「妙見神社」が夢に出てきたのかは

わかりませんでした。

 

そういえば、宇佐神宮を参拝した時、和気清麻呂公をお祀りしている

護皇(ごおう)神社にも立ち寄りました。

 

妙見宮の社説によると、皇位を奪おうとした弓削氏道鏡の野望を阻止し

怒りをかった和気清麻呂公は、足の筋を切られ、

大隈国(現在の鹿児島県)に流されます。

途中、船が豊前国宇佐の海浜に漂着した時、突如数百頭の猪が現れ
公を宇佐神宮へ導いたといいます。

「規矩軍竹和村(現在の足立山)の麓にある石川村(現在の湯川町)

に霊泉があり、その水に浴すれば直ちに足の傷が癒える」とのお告げを受けた

公は宇佐神宮の神馬を借りて湯川の地を訪ねました。

そして信託通り霊泉に浴すと、不思議にも足の傷はたちどころに癒えたのです。

これが「足立山」の名の起こりとも伝えられています。

 

夢の意味は未だにわかりませんが、宇佐神宮と繋がっていたことだけは

わかりましたウインク