My Family Diary -1302ページ目

ぷっちパパ

ぷっちがブログ「父の日」でパパについて書いていたので私も。



私が主人と知り合ったのは大学を出てある金融機関で働き始めた頃でした。


強烈な印象の変わった人・・・・が第一印象でした。


付き合い始めた頃は、


両親が離婚していて親権者は父親。

学費も生活費も父親に出して貰って何の不自由もなく暮らしてきた。


と思っていたのですが。。。

その後分かったこと。


東京都下に住む実母と、彼が生まれ育った都市に住む実の父と後妻の間で非常に気を遣って神経をすり減らして暮らしていたのです。


おまけに、彼にと父がくれた生活費を実母に渡していた為自分の生活費はアルバイトでまかない、かなり経済的には苦しい生活をしていたようです。。

呑気な実母はず~っと別れた夫が自分に生活費をくれていたと思っていたのです。


それぞれには内緒で両方の家を行ったり来たり、ストレスも極地に達し、学生時代には帯状疱疹や胃潰瘍に悩まされていたようです。


こんな生活を続けていた主人は人の顔色を窺い気持ちをくみ取るのに長けていました。


離婚され、母子家庭になってからは

気の強い母の意を汲んで、母の虚栄心を満足させるため、出世街道まっしぐら。


実母が亡くなるまで、実母の前では決して弱いところを見せませんでした。


また、私と結婚する前には大きな決断をしなければならなかったのです。。


普通で行くと結婚式には親権者である父と継母が出席するーーーすると実母は出席できない。


これを避けるため父親と縁を切り、分籍届けまで出し、自分一人の戸籍を作ったのです。


こんな主人を見ていて当時私は

『こんな悲惨な人生を送ってきた彼には幸せになって貰いたい、もう悲しい思いはさせたくない、彼より1日でも長生きをしなくては。』

と固く決意しました。


(後のカウンセリングに依ると、これは正に共依存だそうです。)


そして今考えると異常だったと思うのですが、


若かった私は結婚直後から主人が毎週末一人で実母の家へ行くのを我慢していました。

嫁に息子を取られたと思っている実母の為に。

実にドイツへ赴任するまで4年に渡って続きました。



長男が生まれるときもお正月休みだったのですが、主人は母の所にいて私は実家の父に病院へ連れて行って貰いました。

生まれてから二人で病院へやってきました。


実母に異常に気を遣う主人!

気を利かせて主人に「帰っていいよ」とも言わないない姑!

あまり辛いとも思わず耐えていた私!

3人とも異常でした!!!


こなのような人生を送ってきた主人を放って、今一人羽ばたいている私。

時折「いいのかな」と思ってしまいます。



来年主人が退職したら二人でゴルフしたり、あちこち旅行したり楽しもうと話しています。


それまでは私一人で楽しもうっと。