いたたまれない事件の数々
この頃世間を騒がせている幼児虐待事件。
報道されるたびに胸が痛みます。
殴り殺すはよくあるパターン。
部屋の中にかんぬき付きの小屋を作り子供を閉じ込め、それでもうるさいと言って木箱の中に押し込み窒息死させたり。。。
寒い時期に長期に渡ってベランダに放り出しておいて食事もろくに与えず餓死させたり。。。
11歳の子に食事を与えず虐待を続けた親。
その子は「食べないと死んでしまう」と万引きをしてつかまり、体にあざもあって虐待が発覚。
うるさいからとか、躾のためとか、懐かなかったからとか信じがたい理由。
自分勝手だけでは済まされない、もっと深いところに問題があるように思うのです。
この血も涙も無い親たちはいったいどんな育ち方をしてきたのか考えずには居られません。
親もしくは(何らかの事情で)親に代わる養育者が本当の愛情をもって慈しみ育てていたなら、
そしてその親たちがその愛情をしっかり受け止めることができていたならば、
こんな酷いことを出来るはずがありません。
酷い親だと思う一方でその親たちの生い立ちにも問題があったのではと思ってしまいます。
今日報道されていた秋葉原事件の被告も、親の育て方が少なからず影響していたような。。。。
改めて子育ての難しさを感じます。
子供を産み、立派に育てることが親の役目と、自分なりに一生懸命やってきたことが
子供をがんじがらめにし、果ては病気に追いやってしまった。
危ない要素だらけ。
ぷっちの病気が幸いにも私の子育てを振り返り、反省するきっかけを作ってくれました。
そのままだったら取り返しのつかない、殺伐とした親子関係のままだったかも知れません。
愛情は態度に出して、言葉に出して初めて伝わるもの。
喜怒哀楽は極力表面に出さないようにしていた私には難しい課題でした。
常に私の考えが正しいと子供に押し付け、知らず知らずのうちにコントロールしていました。
子供たちの人格を全く無視して。
幸い長男の反抗期とぷっちの先生のカウンセリングでガチガチの私は次第に丸く角が取れてきたようです。
親子の絆の大切さを学びました。
子供には
何があってもそのままを受け止める、究極の避難所としての親の存在。
子の為なら命も惜しまない親の存在。
を確信してもらう。
親は
親であっても子であっても人格が別なのだから考え方も違いがあることを認め
その子供の人格を尊重すること。
自立を阻むような言動は避け、信じて少し離れた所から温かく見守ること。
を実践する。
まだまだ気付き受け入れなければいけないことは沢山あり、日々勉強中です・・・
とにかく立ち止まって考えるようになった事は私にとっては大きな収穫です。