プロスピAのレベルアップを目的で、毎日選手を入れ替えています。
そして今回、レベルMAXでない選手と入れ替えるときに、「マルティネス」という名前のキャッチャーを見つけました。
ところで皆さん、「外国人キャッチャー」って珍しくないですか?
テレビや新聞などで外国人キャッチャーを取り上げる機会が少ないため、実際に外国人キャッチャーって今までいたと疑問に思う人もいると思います。
しかし、過去に5人のキャッチャーがいました。が、キャッチャーはピッチャーとサインなど意思疎通が必須となるため、言葉が通じないなどの障害もあったそうです。
過去にいたキャッチャーは2000年に中日に所属していたディンゴ、ロッテのディアス。その前は50年代や30年代の球団ができたころに、所属していた記録があります。
当時はまだドラフトがなく、いい選手は巨人や阪神に行っていた(巨人の長嶋、王や阪神の村山、南海の野村など)ため、人気のない球団は外国人選手を戦力に使っていました。
例えばパリーグが8球団だったころは、高橋ユニオンズにサル・レッカという選手がいました。選手層の薄いユニオンズで120試合に出場し、シーズンで23本のホームランを記録しました。レッカは2年間在籍し、クリーンナップを任されるなど中心選手として活躍しましたがわずか2年で退団しています。
このユニオンズが吸収合併された大毎オリオンズに、ニック・テスタというキャッチャーが入団します。テスタは同時入団した2人の外国人投手の相手に起用されたのだが、打撃のほうが1割台前半と評価できずわずか1年で解雇されました。
1989年ロッテオリオンズに入団したマイク・ディアズは、2年目の後半戦に金田正一監督の発案でキャッチャーとして15試合に出場しています。
マサカリ投法で有名な村田兆治とバッテリーを組むなど実績を残しましたが、91年6月12日のオリックス戦でセカンドへの送球時に骨折。翌年は名称を変えた「千葉ロッテマリーンズ」の初代4番を務めましたが途中で解雇されました。
1995年に起きた阪神大震災の復興支援を目的とした、日本人チームと外国人チームの試合が組まれました。当時、ロッテの監督を務めていたボビー・バレンタインの発案で開催されました。
この年、日本ハムに在籍していたティム・マッキントッシュがファーストと外野のほかキャッチャーの経験もあったことから、外国人チームのキャッチャーとして出場する予定だったが、試合前の6月に退団してしまった。
このため外国人チームのキャッチャーがいなくなったため、当時巨人の大久保博元をデーブ、ロッテの定詰雅彦がジョーとして外国人チームのキャッチャーとして登場しています。
ちなみにマッキントッシュは日本でキャッチャーとしての出場経験はありません。
しかし多くの人が印象に強い外国人キャッチャーは「ディンゴ」ではないでしょうか。というのも、当時のパワプロで登録枠からあふれた選手の一覧に「ディンゴ」という名前がありました。ディンゴは内野手の黄色とキャッチャーを示す青で表示され、守備も「一捕(小さく表示)」となっていました。これを見て、キャッチャーができる外国人選手を認識した人も多いと思います。
ディンゴは2000年に中日に入団しますが、1軍出場は18試合にとどまりキャッチャーとしてもわずか1試合しか出場していません。
7月19日のヤクルト戦で3回から6回までキャッチャーとして出場しているため、プロ野球でキャッチャーとして出場記録があるんです。
中日退団後、日本人に強い印象を与えたのが2004年のアテネオリンピックです。
予選で全勝だった日本はディンゴが参加しているオーストラリアに3店のリードを奪いながら、後半に6点を奪われて逆転負けを喫します。長嶋監督が脳梗塞により、志半ばで倒れたこともあり日本は金メダルを取ることで結束していたため、決勝進出の道を阻んだディンゴのイメージがかなり強いと思います。
中日のキャッチャー・マルティネスは、かつて中日で活躍していたリナレスがキューバで巡回コーチした時に将来性を評価し2017年の12月に中日と育成契約を結びました。
今年7月に支配下登録され、3日にアルモンテの怪我により一軍に昇格します。昇格当日の巨人戦に起用され、翌日には代打からそのままマスクをかぶりました。この時のピッチャーは外国人のルイス・ゴンザレスです。
7月に支配下登録されたことと新型コロナの影響で試合数も少なかったため、一軍での出場は39試合に留まっています。しかし、プロスピAではかなり高い能力があるかもと期待しています。
外国人キャッチャーのマルティネスが来年も在籍するならば25年前に開催した日本人VS外国人の特別試合も期待しますが、DeNAの監督がラミレスから三浦大輔に代わったので外国人監督がいないんですよね。