リヴェルンは15位となりました。惜しくもトップ10入りは果たせませんでしたが、初出場でJ1マスコットたちを押しのけてこの結果は大健闘。来年はさらなる飛躍に期待ですね。
さて、このコーナーで取り扱う選手もあとわずか、今日登場するのは、小林大悟選手です。
当時からその才能を高く評価されており、各世代の代表に名を連ねる実力者で、正確な判断と攻撃のスイッチを入れるパスセンスを持ち味としていました。2003年にはU-20ワールドカップの前身、ワールドユースにも日本代表として出場しています。
以前から優秀なユース組織があり、他チームからの移籍も活発なため高校の強豪校から新卒加入することは少なかったヴェルディではいわば異能の存在だった彼ですが、2001年のルーキイヤーは5試合の出場に留まったものの、翌年から見事にヴェルディのサッカーに適応し、シーズン途中のに小見監督からロリ・パウロ・サンドリ氏に交代した後はレギュラーに抜擢され、押しも押されもせぬ主力となりました。
2004年以降からは小林慶行との「W小林」コンビでの出場も多くなり、天皇杯優勝に大きく貢献しました。その伸び代の高さとまさに司令塔とも言える働きからクラブから与えられたキャッチフレーズは「未完の司令塔」です。決して蜜柑が大好きでミカンの司令塔とかいじられていたわけではありません。念のため。
2005年のJ2降格により大宮アルディージャに移籍し、ここでもW小林コンビで大宮のJ1定着の原動力となりました。なお、桜井直人と合わせて3人を引き抜く形になり流石に悪いと思ったのか大宮さんはその年主軸の金澤慎をレンタルで、翌年には守備の要であったパウルこと土屋征夫氏をヴェルディに完全移籍で差し出しています。と私は勝手に解釈しています(移籍にはいろいろある)
この大宮でのシーズンではオールスターに出場したりフル代表に選ばれたりとヴェルディ時代以上の活躍を見せました。
2009年にはノルウェーのスターベクに移籍し、ELに出場するなどレギュラーを挑めますが残念ながらクラブが財政難に陥り完全移籍はなりませんでした。翌年は2010年にギリシャのテッサロニキFCに移籍、そこではウインガーに挑戦し終盤にはレギュラーを獲得しています。
2011年には清水エスパルスに完全移籍し国内復帰しますが怪我に苦しみあまり活躍できませんでした。この時のタイガーマスクのチャントは傑作なだけにあまり披露されなかったのは寂しいですタイガーだけに。
そして2013年に再び海外に渡り、今度はアメリカのMLS、バンクーバーホワイトキャップスに移籍し30試合に出場しますが、契約更新には至らずニューイングランドレボリューションに移籍し、レギュラーを獲得し2014年にはMLSカップで準優勝を果たしました。
さて、ブログを読んでいる人のうちごく数人はおそらく違和感を感じていると思います。今まで引退した選手にはさん付けしているのが、なぜ彼は「選手」と呼んでいるのか…
そう!実はまだ彼、現役選手です!!!アメリカに今でも残りバーミンガム・レギオンFCというチームで活躍しています!!!
もはや日本よりもアメリカでの生活が長いんじゃないかというくらい、ずっとアメリカでプレーしているようですが、現役生活最後にまたI ll be back!とその類い稀なき経験を伝えに戻ってきてくれないかと、密かに期待しています!