ヴェルディが、あのカナリア軍団、セレソンことブラジル代表と戦ったことがあることを皆さま知っているでしょうか。

 それも黄金期の川崎時代ではありません。割と近年、東京移転1年目の2001年です。

 一体、どんな経緯で、どうしてブラジル代表とヴェルディが戦うことになったのか?当時のデータを元に解説していきましょう。

 2001年、日韓ワールドカップの開催を翌年に控え、FIFAはそのプレ大会として、各大陸の選手権で優勝した各国代表が世界一を巡って争う、もう一つのワールドカップ、コンフェデレーションズカップを日韓で開催することにしました。

 その大会の期間中、世界各国の代表とJクラブとのTMが組まれ、ヴェルディは本拠地味スタにブラジル代表を迎えることになったのです。

 しかし、この時のブラジル代表の主力メンバーは大半がヨーロッパのシーズン中で忙しく来日出来ず、ブラジルにとっては若手選手や国内組の新戦力発掘のための大会と位置付けられており、ベストメンバーには程遠いメンバーでした。しかし、このブラジル代表とのヴェルディとの世紀の一戦を見届けようと、TMにも関わらず3万近くの大観衆が味スタに詰めかけました。

 コンフェデの日本代表には当時はヴェルディ所属だった中沢佑二、三浦淳宏が召集されており、移転初年度は成績不振に陥り残留争いの渦中で、なおかつその二人も欠いてのかなり苦しい戦いが予想されました。
 
 しかしながら、ヴェルディは予想外の大健闘を見せ、最終的には0-2で敗れたものの、ブラジル代表が主力不在とはいえ世界トップクラスの攻撃陣を2点に抑えブラジル代表のゴールに迫るチャンスも作り出しました。ブラジル代表が連携不足や時差ボケに苦しんでいたのもあったでしょうが、この時から「大物に強いヴェルディ」は健在だったのかもしれません。

 当時のブラジル代表にはヴェルディや浦和でもプレーしたワシントン、ヴェルディに1年だけでしたが、10番を背負い活躍したラモン、ガンバや大分で活躍したマグノアウベスらJリーグでもお馴染みのメンバーが召集されていました。またエジミウソンとジーダはこの大会の活躍が評価され、後にフルメンバーでもレギュラーの座を奪回しました。特にジーダは言わずと知れたミランのレジェンドですよね。

 そしてそのチームを率いていたのは清水やヴェルディ、神戸の監督を歴任したエメルソン・レオン監督でした。結果ブラジルはこの大会は4位に終わり、その責任を問われて解任されてしまいましたが…

  今では望むべくもない、ヴェルディと王国代表とのガチンコ勝負。

 当時ヴェルディを全く知らない私でしたが、この試合のことを聞くと、この目で見届けたかったなと、残念でなりません。