終了のホイッスルがなった時、私の目からはわずかだが、涙が零れ落ちた。悔しさで涙を流したのは、いつ以来だろう。人生の中でも片手で数えるくらいだろう。
サッカーというスポーツは、他のスポーツに比べて点数が付きにくい。ラグビーやバスケのようにどれだけ力の差があってもそれがスコア上に現れることは、極めて稀なことである。同じカテゴリーにいるチームならなおさらだ。
だから1-0というスコアだけ見ると「惜敗」に思えても、実際に見ていた人からすると捕らえ方はひとそれぞれだ。「完敗」だったという人もいれば、「紙一重」だったと言う人もいる。
「完敗」であったという人の解釈は、「点が取れなかった」「こちらのやりたい事が出来なかった」という点について述べているのだと思う。確かに、前半の途中まではこちらの攻撃はほとんどいいところを出せておらず、決定機と呼べたのは相手DFのクリアミスがそのままオウンゴールになりかけたシーンと、ドゥグのクロスから優平が放ったミドルくらいだ。
だが、肝心の失点シーンは、微妙な判定でセルジーニョが獲得したFKだ。たまたま近い場所から見ていたけど、どう見ても陵平のファウルには見えず、セルジーニョの巧みに審判を欺いたマリーシアに思えた。
だが一方、後半はどうだったか。逆にほぼこちらが押し込んでいた。あと少し触れればゴールという場面がいくつもあり、山雅はシュートを枠に飛ばすことすら出来なくなり、精度の悪いミドルばかりを打つようになった。引いていたという解釈も出来なくもないが、わずか1点のリードで、しかもいつ追いつかれても分からない状況で、彼らにそんな余裕が果たしてあったのだろうか。
思うのは、数年前ならいざ知らず、今のヴェルディと山雅との間に直接的に大きなチームとしての差があるわけではないということだ。ただ、違いとしては、今まで踏ん張るべきどころで踏ん張れたか、踏ん張れなかったのわずかな差だと思う。
たらればを言っても仕方ないが、愛媛や熊本との試合で踏ん張って勝ちきれていたらとか、山形や甲府との試合でせめて追いつくか踏ん張るかしていて勝ち点1だけでも取れていたらとか。そういった事のほんの少しの積み上げの差だと思う。それまで勝ち点を積み重ねていたら、この試合は引き分け、あるいは負けても複数失点しなければOKといったかなり有利な状況になっていたかもしれない。
だが、リーグ戦はまだまだ続く。もはや数字上の可能性になってしまっているが自動昇格の道もまだある。
もしプレーオフに入るとして、勝ち抜くためには残り2試合で全力で勝ち点6を取りにいかなくてはいけない。もちろん大宮の結果次第では他力で滑り込むことも可能ではあるが、それだとプレーオフに出るのが目的になってしまう。去年ならそれでも良かったが、今年はそれではダメである。2つ勝利しまずはプレーオフ内のチームで1番になって、J1のチームに勝たなくてはいけない。
だが、この期に及んでもう自動昇格がどうの、プレーオフがどうのというのは一度リセットした方がいいのかもしれない。
まずは目の前の勝利がなければ、次にもつながらない。そのためのサポートをしようという風に考えるべきなのかと、自分は思う。
最後まで諦めなかったやつのもとに、ボールは転がってくるのだから・・・