さて、リーグ戦もいよいよ残り10試合。自動昇格圏内の松本山雅とFC町田ゼルビアを僅か勝ち点5差で追いかける東京ヴェルディ。
しかし、2008年のまさかの大逆転降格、そこからの消滅危機からのクラブ存続から今日を迎えるまで、そこには大きな困難と再生の歴史がありました。
今回は、ヴェルディについて久しぶりに触れる方や、最近触れた方々向けに、ヴェルディにとってターニングポイントになったと思われる2013年の大きな低迷と、そこからのシーズンでどうやって再起していったかを解説していきたいと思います。
※なお、今回の記事は過去のニュースや私見による私個人の解釈や認識が多く含まれますので、もし認識相違や違う事実などあれば教えていただけると幸いです。
2008年に2回目のJ2降格を経験し、そこから2009年から2012年までのヴェルディのシーズンというのは、一言で言い表すなら「混迷」のシーズンでした。
度重なる成績低迷や会社自体の業績悪化が原因による親会社日本テレビさんの運営からの撤退によるチーム消滅の危機があり、そこからチーム存続は出来たものの、数年はそこからチーム再建のための資金確保により、有望な若手選手を売却しなければならない苦しい懐事情でした。
ただそんな中、最終的な順位としては7位→5位→5位→7位と、昇格こそ逃したものの、有望な若手選手の活躍もあり、常に昇格争いには顔を出し、毎年「今年は昇格できるのでは」という雰囲気はありました。
しかしながら、その一方で高木琢也→松田岳夫→川勝良一→高橋真一郎と監督の人事が混迷しており、毎年のように監督が入れ替わっていました。更に言うと、そのうち松田氏と高橋氏は事実上の姉妹チームである日テレベレーザや下部組織のヴェルディユースの監督をシーズン中に人事異動しての就任でした。この要因としては、安定したチームの経済基盤がなくチーム戦力の維持や満足のいく補強をすることは困難であり、そんな状況ですから実績のある監督に対して魅力のあるオファーを出すことは難しく、クラブOBなどコネクションのある人物でしか引き受け手がいなかったのではと予想致します。
そんな中、ある程度クラブの財政が安定してきた2013年、勝負のシーズンの新指揮官としてヴェルディが白羽の矢を立てたのが、ご存知三浦カズ(現横浜FC)の兄、当時ギラヴァンツ北九州の監督を務めていた三浦泰年監督(現鹿児島ユナイテッド監督)でした。
三浦泰年監督(以下、ヤス監督)はかつてヴェルディでもプレーしたクラブOBであり、なおかつ2011年にリーグ戦わずかに1勝と大低迷した(当時はまだJ3はありませんでした)北九州を一転してプレーオフ争いに導くなど躍進させた実績があり、まさにヴェルディの再建にはうってつけの人物のはずでした。
同時にヤス監督は自分のサッカーを実現するにあたって、GK佐藤優也(現ジェフ千葉)、FW常盤聡(現八王子FC)、DF金ジョンピル(現ヴォルティス徳島)など北九州の主力選手複数人を獲得、またアビスパ福岡の主力MF鈴木淳(現在は大分トリニータを経てアビスパ福岡に復帰している)らの獲得にも成功し、戦力的にも大幅なアップに成功しました。当時経営再建がようやく佳境に入っていたヴェルディにとってこれは赤字覚悟のひとつの「賭け」でした。
しかしながら、ヤス監督には一方で反則ポイントで前年度リーグワーストになるというデータもあり、肝心の局面でのプレーが荒いといわれており、勝利のためには手段をいとわないサッカーなのでは?とその手腕を不安視する声もありました。
その不安が杞憂になればいい・・・すべてのヴェルディサポーターがそう思っていたはずです。しかし、開幕前の当時J2に新規参入したばかりのカマタマーレ讃岐とのTMで、DFぺ・デウォンの過度なラフプレーで讃岐の選手が重傷を負ってしまい、それを見かねて三浦泰年監督がピッチ内に入ってしまい審判と乱闘を起こし、開幕からのリーグ戦複数試合のベンチ入り停止を命じられるなど早くも暗雲が立ち込めてしまいます。
シーズンに入っても、開幕から5試合勝ち無しなどスタートダッシュに失敗すると、その後も浮上のきっかけをつかめないまま終始下位に低迷し、過去最低の13位という成績でついにJ2ですら強豪ではなくなってしまったのでした。
要因としては上記のようないわゆる荒さがあるケンカ殺法的なサッカーももちろん問題ではありましたが、それ以上に大きな問題だったのは外部からやってきた選手とそれまでの主力選手の間には、それまでのチームの戦い方の違いなどから開幕から溝が出来てしまい、それがシーズン終了まで解消出来なかったことと、それまでどちらかというと個人の能力を最大限活かすというスタイルがヴェルディの主なスタイルだったものに対し、ヤス監督の明確な戦術を与えるやり方にヴェルディの選手たちが反発してしまったことでした。
ここでひとつの疑問が浮かびます。あれ?新戦力の大量の補強や戦術を与えるやり方って、ロティーナ監督の政権でもやっている事じゃないの?なんでうまくいかなかったの?と。
その要因としては、ロティーナ監督に比べてヤス監督はかなり激情的な体育会系のタイプで、練習でも不甲斐ない選手に対して罵声を浴びせるなど、マネジメントの方法に問題があったからです。それで選手の反骨心を煽って結果を出したかったのでしょうが、結局それで結果が出なかったことから負のスパイラルに陥ってしまいチームは空中分解。Jクラブの中でも温厚で有名なヴェルディのサポーターからも厳しい声が飛び、ホームの最終戦では社長挨拶にブーイングが飛び、解任を求める横断幕まで上がるほどでした。
しかしながら、その手腕を信じていたヴェルディのフロントはヤス監督と複数年の契約を結んでおり解約しようにも違約金の負担が大きく、解任するにできない状況でした。
一方で監督と主力を引き抜かれ戦力ダウンしたはずの北九州は新戦力のフィットにより前年度よりもさらに躍進し、PO圏内(当時のライセンスの関係で昇格プレーオフへの出場はならず)でシーズンを終える皮肉な結果でした。
この声を受けて「あの厳しい声を来年への力にしたい」と三浦監督は力強く話しましたが、翌年2014年にヴェルディを待っていたのは更に厳しい現実でした。
TO BE CONTINUED・・・