今回は、大きな決意で「ポイント活動(ポイ活)」をフォーカス。

このブログでも公言しているように、我が家は家族全員でドコモのスマホとhome5Gを利用し、
dカードGOLDをフル活用する「ドコモ経済圏」の一家です。
日々の生活の中で、スキマ時間にこなせるポイ活を続けてきました。

日中は会社員として働く私ですが、
その「スキマ時間」という言葉にとらわれ過ぎて、
「スキマ時間を作らなくてはならない」ということを意識しすぎていました。

そこで、昨日、妻から

「チマチマやってるそのポイ活…もっと他の時間に費やしたら?」

と言われ、ハッとした私。

最近、好きな読書や勉強の時間よりも「ポイ活」を優先してきたことは否めません。

もちろん、ポイ活は有益ですし、収入の代わりにもなります。
「ポイント」が生活を豊かにするのもそうですが、
「読書や勉強から得られる知識や教養」も豊かになる重要な要素だと思っています。

結果、時間の都合が好ましくないものをルーティーンから外すことを決意。


以下に、今後見直すべきと判断したポイ活を宣言。

・ダウンロードする「だけ」のようなハードルの低い案件
→たしかに作業としては楽ですが、得られるポイントが明らかに少なく、
 詳しく述べるまでもなく、時間を割くだけもったいない。

・クレジットカードを作ったり、イベント参加したりする案件
→達成する際のポイントの戻りは大きかったりする時もありますが、
 利用する予定の無いクレジットカードの会員管理をし続ける負担が大きい。
 比較した際、個人的には「ナシ」。

・毎日ログインし「一日一回無料くじやスロットを回す」ようなログイン系ポイ活。
→単純に効率が悪い。
 まれに高額なポイントが当たることもあっても、
 スキマ時間に何かして大きな利益を生むほどの行為でないと実感。
 ギャンブルと一緒で「当たる時よりも当たらない時の方が圧倒的に多い」気がする。

・動画を視聴「させられる」系ポイ活
→単純に「義務感のプレッシャー」が大きい。
 「一日に○○回動画視聴で1ポイント」なんてサイトもありますし、
 一回の動画を見るのに30秒から1分拘束され、
 挙句の果てに、大きなポイントを得られない。
 その「義務感」は「動画視聴系」ではなく、
 「動画視聴させられる系」と言えるでしょう。

・移動系アプリのポイ活
→これは悩みました。
 日頃から利用している移動系ポイ活の「トリマ」。
 簡単に言うと、移動の手段や距離によってメーターが貯まり、
 一定メモリに達するとくじが引けたり、スロットが回せたりするのが移動系アプリ。
 トリマに至っては、「動画を視聴するとポイントアップ」という誘惑で、
 「動画を視聴させられる」という義務感に押しつぶされれしまいます。
 実際、トリマで移動するたびに貯まったメーターを消費するために、
 動画を見て、ポイントを貯めていく。
 その行為に、妻も「他の事に時間使いなよ」と思っていたようです。
 確かに、仕事で毎日1万歩くらいは歩きますし、
 帰宅後に歩いて貯まったメーターを消費するべく、
 動画を見るだけで1時間はゆうにかかってしまいます。
 「動画を閉じるボタン」を押し間違えたり、
 望んでもいないジャンルの広告の動画が流れたり、
 妻や子供に「どんな動画見てるのよ…」と性的描写に近い動画も流れることから、
 日常的に、良い印象は持たれていなかったのも事実。
 動画をこなしているうちに、寝落ちしてしまい、
 日付の切り替えとなる「深夜3時」を越えてしまい、
 せっかく貯めた「歩数のマイル(移動は翌日持ち越し可能)」が消失したり…

 これまで、1ヶ月で1000円分のポイントが貯まることもなく、
 トリマでガッツリ行動しても、2ヶ月くらいでやっと1000円、
 4か月で2000円。年間にして6000円くらい。
 それくらいの実績です。
 金額以上に「移動系ポイ活を一日24時間意識する義務感」を考えると、
 あまりにも、タイムパフォーマンスが悪い。

 それに、常時位置情報を計測するため、バッテリー消費も激しい。
 だからこそ、強い気持ちを持って、これらのことをやめることを決意。
 

結果、妻からいつもこのように厳しく言われることで、様々なことに気づかされます。
ポイ活の著名人もいらっしゃいますし、大きな効果を生むポイ活もありますが、
私のような家庭で実践するならば、ゆるくやるべきで、
ポイ活のせいで家族との時間や関係が悪化させたくありません。

時間は有限ですので、自分にとってできるだけ有益なことで時間を消費していくつもり。

もちろん、ポイ活すべてを否定しているわけでもなく、
その他のコスト的にも見合ったポイ活は継続するつもりです。

ポイントは「貯めるもの」でもあり、「使うもの」でもあります。
「使う金額に見合った行動とタイムパフォーマンス」
に見合ったものと向き合っていきたい、そう考えました。