本門戒壇の御本尊様が本物か否か?
私は過去の宗門の歴史を知らず貴方の問いに自分自身が納得出来るような答えを用意出来ません、よって下記のブログをお読みになったら如何でしょうか?
犀角独歩氏のブログを拝見しましたが仏教、仏像、日蓮宗系の様々な御本尊様に対しての造詣が深いと思います、が疑惑の元となった日禅師授与の御本尊様の写真と本門戒壇の御本尊様の写真はどこから入手したのでしょうか?確か御本尊様を撮影する事は固く禁止されていたはずで
すが…( ̄^ ̄)
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/cat_190791.html
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/54819199.html
下記のような日蓮正宗青年同盟のHPを見つけたので引用させて貰います。
『日興跡条々事』に、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(新編一八八三)
と仰せのように、「本門戒壇の大御本尊」は御歴代上人に御相伝遊ばされるのであるから、「本門戒壇の大御本尊」に関する一切の権能は御法主上人に存するのである。したがって御法主上人が「本門戒壇の大御本尊」をどこに御安置なされようと、御法主上人の御随意である。ほかの者が触れることではない。
中略
正本堂解体に関して正信会の見解か?
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否、それよりもっと明確な理由「戒壇の大御本尊はニセモノと言っていた阿部師が建てた堂宇に、大聖人様の御魂は住まわれず」ということで、きっと取り壊されよう。因果は廻るのである。
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あきれ果てた妄言である。まず、日顕上人猊下が「戒壇の大御本尊はニセモノ」と言っていたなどというが、これも全く創価学会の疑難の受け売りである。これは、所謂「河辺メモ」を根拠に、〝昭和五十三年二月七日、河辺慈篤師と面談した日顕上人が、「戒壇の御本尊のは偽物である」「種々方法の筆跡鑑定の結果解った」と語り、本門戒壇の大御本尊は偽物だと発言した〟と言うものである。
この件について、すでに宗門では、河辺師の証言などに基づき、日顕上人のお言葉の御真意は、当時、宗内外で語られ、また語られる可能性のある本門戒壇の大御本尊への誹謗に対する破折であったことを明らかにしている。
その後、宗内有志による『慧妙』紙が、さらに具体的に、〝当時、宗内にあった、後に正信会となる僧侶が、大御本尊への疑義を懐き、日顕上人がこれを破折したものと思われる〟と論じ、この推論を裏付ける重要資料を発見している。その記述によれば、
「正信会・大黒喜道編纂による『日興門流上代事典』の七三六頁には、本門戒壇の大御本尊の解説文として、次のように記されており、その中で戒壇の大御本尊に向けられた疑難は、まさに、『河辺メモ』に記された疑難と、みごとに一致しているではないか!
『弘安二年(一二七九)十月十二日に書顕されたと伝えられる富士大石寺蔵宗祖御筆本尊で、曼荼羅下部には『右為現当二世造立如件/本門戒壇之願主弥四郎国重/法華講衆等敬白/弘安二年十月十二日』と記されている。現在は板曼荼羅として大石寺に厳護されているが、非公開であり、古来より宗祖の御筆に対して疑問が提出されている。(中略)
富谷日震『本宗史綱』二四五は『重須日浄記』に拠って当本尊の彫刻を大石寺日有によるものと推定し、日蓮宗事典はその筆跡や脇書等から室町期の成立と推測している。(中略)大石寺所蔵の宗祖本尊の中では、元は東京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書『比丘日禅授与之/〔日興上人加筆〕少輔公日禅者日興第一弟子也。仍所申与如件。奉懸本門寺可為万年重宝者也』興全一四一)が、その相貌と言い大きさと言い、当本尊と酷似しており、注意される。』
この『日興門流上代事典』なる書の発刊は『二〇〇〇年一月一日』と記され、近年の発刊となっているが、問題は、そこに述べられた『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係についての説が、いったい、いつから存在したか、という点である。
そこで今回、本紙が編者に問い質したところ、重大な事実が判った。
すなわち、すでに昭和五十年頃、虫払い大法要の際に宗内の何者かが撮影した『日禅授与の御本尊』の遠景写真(これは、いま編者の手元にある)、及び『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』が酷似しているとの説があった、これについて編者(大黒)自身は別の意見を持っているが、『事典』という性質上、中立にあらゆる意見を載せたにすぎない、というのである。
やはり、というべきか、この事実は重大である。
編者が自称・正信会に籍を置いている関係からすれば、右に言う『写真』も、おそらくは正信会関係者から入手したものであろうし(その氏名を聞くことは、ついにできなかった)、『河辺メモ』に記された、昭和五十三年当時、『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係を疑って云々していたのも、後に正信会となる宗内一部僧侶であったことは、もはや確実である」(慧妙平成十四年六月一日付)
ということである。まさに貴殿らの言こそ盗人猛々しいと言わねばならない。本門戒壇の大御本尊に対する疑難を自作自演し、それを創価学会の疑難の尻馬に乗った振りをして、一切の責任を日顕上人に転嫁し誹謗しているからである。