Marian Kołodziej マリアン・コウォジェイ画集

数年前にポーランドからマリアン・コウォジェイの画集を送ってもらったのですが、5年前に日本で氏の画集が発行されていたのを最近知りました。決して、気味の良い絵ではなく、どちらかというと気味が悪く、氏の絵が展示されている場所を案内した時には、日本人の看護師が、「気持ち悪い」と言いだす始末でした。



(日本で出版された画集)


(晩年のマリアン・コウォジェイ氏

 


以下 動画の解説(補足しています)

「マリアン・コウォジェイは、アウシュヴィッツへの最初に輸送されたグループの中の囚人でした。 50年間、彼は1940年8月14日に収容され、その後の5年間の強制収容所キャンプでの経験について誰にも話しませんでした。 なぜなら、それは、彼は過去のその出来事を忘れたかったからだ。 しかし、それは、それほど単純ではないことが判明した。 マリアン・コウォジェが1992年に脳出血を起こしたとき、これらのイメージは新たな力を持って戻ってきました。 彼は自分が経験したことを話すことにしました。 彼はシリーズ「メモリープレート」の最初の作品を鉛筆で描き始めました。 『ラビリンス(迷宮)』。


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ポーランド勤務時には、日記をつけ、可能な限り写真を撮り続けていたが、収めていたパソコンが壊れ、外付けハードディスクも行方不明になり、まったく日付の立証が出来ない。

画集の絵は、「Oświęcim(オシュエンチム。都市名。一般的には、アウシュビッツの名称で通っているがアウシュビッツは、ドイツ軍が勝手に名付けた地名)」にある村民6百人強のハルメンジェ (Harmęże)村の「フランシスコ会修道院付属の小教区教会の地下」にある。


(「数字が刺青されるキャンバス」)

これは、日本でいうところの「フランシスコ会」ではなく、日本では「コンヴェンツアル聖フランシスコ修道会」と呼ばれているフランシスコ会です。ポーランドでは、「コンヴェンツアル聖フランシスコ修道会」を「フランシスコ会」と呼び、日本の「フランシスコ会」は、「ベルナルディーニ」と呼ばれています。

滞在時、何度もアウシュビッツ強制収容所に行く機会があり、ハルメンジェ (Harmęże)のフランシスコ会修道院にも何度かあり、ポーランドに行きたての頃は、まったく(笑)ポーランド語も理解していないので、社の会合には出ず、・・上司も会合の参加を求めなかった・・・車を使えば、約6分程度のところにある「アウシュビッツ強制収容所」(以下・「アウシュビッツ」)に行った気がする。

コルベ神父は、他の囚人の身代わりになって餓死刑に処せられ、餓死刑室で17日間生き延びたのち、フェノールフタレインを打たれて、殺されました。その遺体は、焼却炉で焼かれ、遺灰は、ハルメンジェにある沼に捨てられました。




(収容者に食事をさせるコルベ神父)

「アウシュビッツ」の公式ガイドであり、唯一の外国人ガイドの中谷剛さんの家にも迎えてもらった。

【 閑話休題 】

そのハルメンジェでの会合のおりに、見かけたのが、寡黙にいる老夫妻が、後で知った
マリアン・コウォジェイ氏と奥さんの
ハリナ・ゾフィア・スォイェウスカーコウォジェイ(Halina Zofia Słojewska-Kołodziej)さんだった。奥さんのハリナさんは、ポーランドでは有名な女優でした。

その後も、何度かお目にかかる機会があったが、誰も紹介してくれず、こっちから話し掛けようにも「どこのどなた様」かもわからず、ポーランド語も不自由で、読めない、書けない、話せない 三重苦の中にいたので仕方がなかった。

が、相手が有名人だから、相手が無名だからで、人を判断してはいけないですね。

今は、ご夫婦ともこの世から彼岸に旅立たれました。

 



『囚人番号432 マリアン・コウォジェイ画集―アウシュヴィッツからの生還』の内容説明

編:中丸弘子、グリンバーグ治子
画・文:マリアン・コウォジェイ
仕様:A4判並製128頁
ISBN:978-4-906873-93-7
発行日:2017/8/15

「あなたが生き残ったのは、生きるためではない。もう時間がない。
目撃者として証言しなければならない」
アウシュヴィッツで灰と消えた無数の人々への献辞

「記憶のネガ写真:迷路」と題され、ポーランド・グダニスクの教会で展示された絵は、アウシュヴィッツ強制収容所から生還したマリアン・コウォジェイが、封殺していた記憶を描いたものである。
善なるものを表す人間と、悪の象徴である獣。餓死刑を宣告された囚人の身代わりとなって死んだコルベ神父。囚人仲間たちの顔を忠実に再現し、スケッチの中に込めた言葉。
強制収容所で見たこと、感じたこと、そしてコウォジェイの想いが込められた各作品からホロコーストへの理解が深まる。



◆マリアン・コウォジェイ
1921年、ポーランド・ラシュコフ生まれ。画家、舞台美術家。
18歳のとき、反ナチスのポーランド地下組織を支えるボーイスカウト活動中にゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に逮捕され、1940年、「政治犯」としてアウシュヴィッツ強制収容所に送られる。1945年までの5年間を強制収容所で過ごし、終戦で解放され生還。その後クラクフ芸術大学で舞台美術を学び、1950年卒業、以後40年間、グダニスクのヴィブジェジェ劇場で美術監督として活躍した。1987年にはポーランド生まれのヨハネ・パウロ二世がグダニスクを訪れた際、野外ミサのための祭壇をデザインしたことでも知られる。
1992年脳卒中で倒れたあと、リハビリとして鉛筆画を描き始め、亡くなる直前までの16年間にアウシュヴィッツの体験を描き続けた。その絵の数は250枚を超える。
2009年グダニスクで逝去。

(以上 「悠光堂」HPより)