Freedom is the right of all sentient beings. -31ページ目

駄文

よし今日はもういっちょ駄文。
(今日は職安も新しい求人誌も更新されないので手も足も出ないのだ、ははは)
って、書いてるうちに日またぎましたが。

4月3日から放送開始の「トランスフォーマーアニメイテッド」 に思う事とか。

Freedom is the right of all sentient beings.

自分は現在、海外版の本編は第二シーズンまでしか観てないんですが
(ソフト化待ちで視聴してきたので)
まず気になるのは現時点では第三シーズンまで、全42話という話数。
第一シーズンが16話(第一回が特番3話分)、第二シーズンが13話(最終分が特番2話分)、第三シーズンが13話(初回が特番3話分)という内訳。
これだと1年やる場合はやや話数が足らないので10か月1月いっぱいまで、とかになりそう。
それで放送局側も問題なければ(後枠が決まってるなど)無問題ですが一部話数を未放送にして3クールにおさめるか、なんらかの形で特番枠(スパリンの時は祝日放送)とかを組むか、総集編を多く組むか、あるいは完全新作エピソードをつくるか…
どうなるにせよ、気になる要素です。
BWメタルスみたいに劇場で、という訳にもイカんだろうしなぁ。
あるいは未放送エピソードをテレもちゃ方式で発売、とかどうだろうか…
なんか誰も得しそうにないなぁ。
とりあえず、未放送分が出ない事を祈ろう。
追加するなら総集編とかだけでなく、放送開始第一回に前夜祭として過去のシリーズの紹介やら、着ぐるみのオプティマスがハーリ・ヤノシュの曲でバレエを踊ったり、演出用の豚が暴走したりして。
(わかりにくいネタでスマヌ)
「来るぞ!超アニメーション!! トランスフォーマーアニメイテッド」でもいいし。
そしたら最終回後にも「リクエスト・トップ10特集Part1」とかできるしね。

一部キャラクターの名称変更。
バルクヘッド→アイアンハイドは実写映画版との連動?を狙ってらしいですがプロールみたいに変えられない(クロミアとかアーシーにされなかったのは幸い)キャラも多々いるんだし、これはどうかなぁ、というのが本音。
人物像も違いすぎるし無理に変えなくても。

玩具展開。
6月までに一気に出すぎ。
玩具売り場スペースが縮小されてる事が多い現在、この集中型は発注数にも明確に影響が出るので(で、売れ筋も逃しそう)危険な気がします。
買う側としても素直にキツいし。
まあ、あまり売れなくて終盤ほとんど発注数が集まらないという事態を危惧してるのかもしれないですが。
終盤に新規造形のアイテムとかが出るならいいんですけどね。
オメガスプリームとか。

キャスティング。
今わかってる範囲では特に心配なさそう、というかおそらく声優陣よりも岩波監督らによる翻訳やアドリブのさじ加減を心配してる人の方が多そうですが。
個人的にはそのあたりは心配どころか楽しみですけどね。
ビーストウォーズの邦訳版って、台詞などのお遊び要素は好き好きなのでこればかりは人それぞれだと思いますが、話そのものはむしろわかりやすくうまく整理していた気がしますしね。
文句がある場合はそれこそ言語版で観とけばいい訳ですし。
(おそらく文句言ってる層の少なくはない人数は、言語版を自身で翻訳できないのにムックやネットの情報などのみで言語版を理解したと思ってる層と感じます。少なくとも、実際にそういう人を見たし)
声や演技で人物像が変わる事なんて、初代のスタースクリームからあった事だし。
それぞれの国の現在の状況、ニーズに合わせてのローカライズは当然だと思うのです
…まあそうは言っても、北米版カードキャプターさくら=CardCaptorsのすごい改変に現地ファンが怒るのも理解できるしなぁ。
人格そのものが変えられてるし、ははは。
追加映像(というか差し替え)の半面、かなりの描写が削られてたり話数がごっそり削られて約半分、というのも痛い。(放送一話からして小狼初登場の回)
…アニメイテッドも変形シーンなどに新規映像追加、とか言われてますがこれで変な事になってなければ(特にテンポには影響でそうですね)良いがなぁ。
余談ですがCCさくらは世界各国で放送されましたが、ほとんどはちゃんと「さくら」名義(苗字は変更有)で名前の変更がされてない事が多く比較的珍しい部類…
と思うと韓国ではチェリー(桜の木は韓国が発祥の地と言い張ってる国だしね)だったり、北米以外の他の国では基本的にそのまま放送された中で、さくらが袴着たりする純和風な場合は未放送だったりと韓国ナイズされてるのがある意味、イカす。
各国主題歌が独自のものも多く(日本の曲を直訳したポルトガルの様な場合もあり)、北米版の妙に勇ましいのは置いといて、中国版の主題歌はいい感じに優しくて好きです。
韓国版は日本版Catch You Catch Meをベースにしつつも全く別の曲になってたりムーディーなイタリア版の歌でも言語違ってても「ケロちゃん」とちゃん付けで歌うから、これがまた。

Freedom is the right of all sentient beings.

北米版ドール。日本のバンダイ・フリーポーズセレクションに似ててサイズも同一ですがトレンドマスター社の完全新規の別物。
苺鈴なんかは日本でも出てないのでありがたい。
衣装も日本でも出たもの以外にもこのチアリーダー服や着物など日本未発売のものが結構あるので、サイズが同じフリーポーズセレクションにも流用できますし。
衣装2種セットの方はトーキング機能付の台座付き…例の人格も声も違うさくらなんであまり嬉しくないか?

Freedom is the right of all sentient beings.

友枝小制服も夏服とか出てたり。
横の日本版は再放送時に新たに発売された版。こちらは2種で終わって残念。

閑話休題。

おう、映像差し替えでの放送の雄といえばやはり戦隊シリーズ→パワーレンジャーではないかと思いますが。
これこそお国の事情に合わせたローカライズが大成功した良い例でしょうね。
もはや別作品になって、逆輸入もされてる訳ですし
(そして逆輸入された場合はあまり評判にならない、苦笑)。

Freedom is the right of all sentient beings.

TOY的には日本で発売されなかったキャラクター
(画像ではファントムレンジャー=VRVマスターと、ブルーセンチュリオン=シグナルマン。
シグナルマンの小さい方は日本版のプラデラ・ポリスピーダーとのセット版フィギュア)
や、オリジナルキャラクターなんかも魅力ですが
(オペレーションオーバードライブ=ボウケンジャーのデュアルドライブメガゾード=ダイタンケンみたいに海外版の方が映像に似た玩具という場合もあったり、現在の初代リニューアル玩具展開などもあったり)
映像の方でも、奇跡的に日本の映像を活かしてのミラクルな展開が発生したり
(ジュウレンジャーのバンドーラ=パワーレンジャーのリタは序盤は日本の映像=曽我町子氏のものが使用されており、途中で若返って現地役者に代わってましたがシリーズを重ねていく中でイン・スペース=メガレンジャーの時に浄化され、補足するとそれ以前にも場合によってはパワーレンジャーの手助けをしたりもしてますが、人間になった事になり回想以外ではしばらく登場しませんでした。
が、後のミスティックフォース=マジレンジャーにてミスティックマザー=マジエルとして再登場した際には曽我氏の登場シーンをそのまま使用し、善の魔術師になったリタ本人として再登場を果たしています)
と全く油断ならない面白さです。

再び、閑話休題。

TFではサイバートロン=ギャラクシーフォースが日本と海外で設定が異なりサイバートロンはアルマダ=マイクロン伝説、エネルゴン=スーパーリンクの続編と位置づけられていた
(日本ではマイ伝とスパリンは繋がってるもののGFとは別世界とされた)
のもあり、最終回ではアルマダやエネルゴンの登場人物、ラッド、アレクサ、カルロス、キッカーなどが
(現地スタッフ作画と思われる。少なくともGFスタッフではないのは確か)
登場するシーンが追加されてましたが…
あ、折角映画世界とつなげる?要素があるのならアニメイテッドでもアニメ版キャラになったレノックスとかNEST部隊をちらっと出してくれないかしら。
(サムたちは話というかキャラクターに絡みすぎるので差し込むのが難しそう)

なにはともあれ、放送開始を楽しみに待ちたい所存。

余談・まあTFそのものが日本のミクロマン&ダイアクロンのアメリカへのローカライズ展開だったわけで、巡り巡るものですね。ははは。


Freedom is the right of all sentient beings.


今日のどら焼き日記。

湖月堂 のどら焼きです。

Freedom is the right of all sentient beings.

福岡・北九州の地元民には栗饅頭のCMでおなじみ。
栗まんじゅうといえばやはり「バイバイン」は避けて通れぬ話、笑。
物心ついたときから既に栗まんじゅうを見たら5分ごとに倍に増えるシーンが思い出されてしまいますよ、ははは。
わさドラ版では原作通りのオチで無限に広がる大宇宙に破棄しますが追加でその後、ドラのびが見つけそこなった(隙間に転がってた)一個が増える音がして…
というホラー映画的なラストになってました。
栗まんじゅう怖い!!
(そういえば自分は「まんじゅう怖い」をはじめて知ったのがオバQでドロンパがみんなに怖いものを聞かれてまんじゅうが怖い、と答えてまんまといただく話でしたよ。パクパクムシャムシャこの勇気!)
前後して(実はわさドラ版では新魔界大冒険の公開の方が先!)、新魔界大冒険でも宇宙空間で増え続けていた栗まんじゅうが観測される!
という驚愕の展開があったりしました。

で、どら焼きですが。

Freedom is the right of all sentient beings.

価格、サイズともに標準クラス。

Freedom is the right of all sentient beings.

小豆は大納言使用で上品な甘さ。
皮と餡のバランスもほどよく、ある意味「どら焼きってどんな味か?」と考えた時に思い浮かぶ、一番スタンダードな美味いどら焼き、という感じです。
これ食べておけばどら焼きは大丈夫!と言ってもいい安定株でしょうか。

天装

近況。
相変わらずの絶体絶命状況ですが、今までだってなんとかやってきたので
今回もなんとかなるだろう、という気持ちで臨む所存。
(そうでないとやってられん!)

Freedom is the right of all sentient beings.



感想諸般。
ゴセイジャー、正直予想してましたがやっぱりここ数年で戦隊(特撮)ファンになった層を中心にあまり評判が良くない風潮。
まあ気持ちはわからんでもないですが。

自分の正直な感想は、というと、今のところ普通。とりたてて悪いところもないかと。
良い部分は多いですが、特に注目したい所は戦隊メンバー以外のレギュラーが味方側に(サポートなどでもなく)居る、という部分でしょうか。
これは戦隊に限らず、ここ近年の実写特撮ヒーローの多くに言える要素ですがヒーローと敵の戦いの図式の中身が、基本的には「自分たちの事ばかり」だと思うのです。
世界の平和、とかそういうものを掲げるにせよそうでないにせよ、殆どの場合、ドラマの構成が自分たち当事者だけで成り立っていると感じるのです。
ドラマである以上、それは当然とも言えますが、ことヒーローものというジャンルにおいてはそれだけでは説得力に欠けたり、本末転倒な場合も起こりうると思うのです。
(勿論、意図的にそうする事で面白くした作品も多々あるわけですが)
戦隊の場合は特に、主役が複数の人物居る為、問題に対して自分たちの間だけで納得し完結させる事が多いのも一因だとは思います。
しかし、やはり第三者が存在する事で、主役たちと異なる視点から視聴者に代わって物事を見たり、考えて意見したり、あるいは巻き込まれたりする事で作品世界=登場人物たちを単なる役割を与えられたキャラクターとしてではなく、もしかしたら本当にいる、いつか会えるかもしれない実在の存在の様に感じられたり素直に憧れる存在足りうるのではないか、と感じるのです。

今回のゴセイジャーにおける天地親子の存在は、過去の戦隊においてはギンガマンの青山親子に近い位置に居るように思います。
そのギンガマンもファンタジー路線&原点回帰&メインライターが女性(小林靖子氏)という共通項が見られますね。
(個人的には小林靖子氏脚本を強く意識するようになったのは「ゴウキの選択」での鈴子先生の行動と台詞でした。ここで描かれたやりとりは、ヒーローもの、ひいては男性社会で無意識に思い込んでしまっている幻想を気持ちよく打ち壊して見せました)

加えて、ここ数年のヒーローものの多くが実に個性的なデコレーション(内容、設定に対して)でそれぞれの独自性をアピールせんと、味付けが濃い目であった事から、近年作でファンになった層には殊更、薄味に感じてしまうのかも知れません。

例えば近年作では「仮面ライダー響鬼」が当初の路線からスタッフの入れ替えによる路線変更が行われ、特に熱心なファンから(あるいは実際に現場にいたスタッフ、キャストからさえ)酷く叩かれた事が思い出されます。
響鬼の場合は明日夢くん=主役側に居ながらも実質的には第三者の立ち位置が明らかに主役側に移動し、そこから描かれるドラマが変更前の緩やかな成長劇から近年の他ライダー同様のものに変質した事が大きな一因かと思います。
意識しなければ、自然な流れにも見えそうな立ち位置の変更でしたが結果的には作品そのものの根底すら否定した様な物語に移行した、とまで言われる事もあるまでになっています。
(勿論、響鬼の場合はこれだけではない路線変更前と後で様々な違いがありましたが)

群像劇としてではないドラマ構成の中では第三者が物語の中心にいたり、ゲストとして物語に関わる事で、特にヒーローものの場合は「護るべきもの」であったり「ヒーローという異端の意味」をはっきりと表現できると思うのです。

…と、まあ理屈っぽい事をつらつらと書いてみましたが。
とりあえず、まだはじまったばかり!
まずは素直に応援しようぜ!!
というのが本音ですよ、はははは。

折角「天使」なんて明らかに他者とのかかわりがあってはじめてその意味を為す様なモチーフなんだから、敵、味方双方身内でのこざこざ(序盤は致し方なし)で終始せず、どんどん色んな人のそばに赴き、励ましたり背中をおしたりしてほしい(第一話でアラタが望にそうした様に)と思う所存。

と、そういえば今年のグリーンランドの春のステージもTV CMはじまってますね。
http://www.greenland.co.jp/park/event/cm.html



「クイック・ジャパン」誌Vol.88購読。
目的は特集の「映画『ドラえもん』2006→2010大いなる物語の継承」。
主役5人の声優の座談会、楠葉監督インタビューは特にリニューアル後のシリーズをほとんど観ないで前の方が良かった、と断じる人にこそ読んで欲しい内容でした。
そして一番読みたかったのが「映画『ドラえもん』の歌 武田鉄矢」インタビューの項。
ううむ、やはり良い内容でしたよ。

以前にも書きましたが、原作版大長編ドラえもんの単行本の中でも物語の中、見開きページで武田氏作詞の主題歌の歌詞が入ったシーンがほとんどの作品で見られるのも、やはり藤本先生が武田氏の歌詞が映画=大長編ドラには必要、と思ってたからでしょうね。
今回のインタビューの中でも、7、8作目くらいの時に続けて関わってきて少し疲れがでてきたので降板を申し出たら、製作担当の方から藤子・F・不二雄先生から「武田さんの歌が必要なんです」と強く言われて引きとめられた、という事が語られています。

インタビューの中で特に印象深い部分を一部抜粋します。

「『ああ僕はどうして大人になるんだろう ああ僕はいつごろ大人になるんだろう』
のフレーズは、男の子の成長してゆくことへの恐ろしさと憂鬱を普遍的にとらえたもの。
そこにF先生は強く共振されたようです。
『ドラえもん』は壮大なアドベンチャーですが、のび太たち男の子の心のざわめきに、物語の核があるんだと思います。
映画『ドラえもん』の歌は、あえて物語からちょっとだけずらすんです。
物語を丁寧に代弁したようなテーマソングって、『ドラえもん』には不思議と合わない。
そして、僕自身のことを歌わないように注意しています。
僕の考えている思想だとかメッセージは不純物でしかない。
(中略)
役者の仕事を長くやってきて気づいたことですが、僕らは作品の”道具”になりきることが大事なんです。
そうすると、結果として道具以上の何かが引き出されるのだと思います。」

「『世界はひとつじゃないんじゃないか(中略)世界はグーチョキパーで だから楽しくなる』
というフレーズがあるんですが、それは『ドラえもん』という作品をとおして学んだことでもあります。
『世界はひとつにならなければいけない』というような考え方があるでしょう。
でも、ひとつのくくりにまとめるのはつまらないし、とても危険なことだと思うんですね。
個々の違いを認めない、ひとつの価値観でまとまった世界なんておかしい。
バラバラで、多様だからこそ世界は美しい--。」

誰が何と言おうと、いま世界は美しい。
クジラを守れとか、CO2を減らせとか、問題を掲げる声はいっぱいありますけど、
ずっと前から世界は変わらず美しいんです。
僕ら人間はちょっと、驕っているのかもしれません。
世界の美しいいまを見つめられないで、未来の世界を明るくなんてできませんから。
『ドラえもん』は、『いまこの世界が美しい』と語っている物語です。
未来や過去を冒険していても、のび太たちは最後には普通の日常に帰ってくる。
(中略)
普通の世界を慈しんでいるから、未来も過去も輝くんです。
それがF先生の目であり、人生観だったのではないかと思います。」

新曲「遠い海から来たあなた」についても触れられており、曲を聴くのがますます楽しみになりました。

そういえば来週のスマステもドラえもん特集とか。
過去のライダーとかウルトラ特集もそこそこ面白かったので見てみるかな?

よし、頑張ろう。

守護

「しゅごキャラ!」のフィギュアストラップ、歴代アイテム全種
(キャラの表情バリエーション、ダイヤのバツつき除く)
+新規造形のリズムを加えたシリーズが登場。
今までの分を地道に買ってたのでリズムだけ抑えれば解決でした。
一発解決。
いつもの事ながら、運が悪い時期の自分のガシャ運は無敵の百発百中っぷりです。
(不運の最中にはガシャポン廻すと何故か欲しいものが必ず一発で当たる不思議現象)
ははは
…と、素直に喜んでる状況ではないんですけどね、この絶体絶命な状況は。

これまでのアイテムと異なり「ストラップ」なので、ボールキーチェーンでもなければしゅごたまプレートもついていません。
むう、惜しい。

Freedom is the right of all sentient beings.

インストカードなどでは「全キャラ大集合!」とあおられてますが、レギュラーキャラの中では残念ながらナナが未商品化…
今回でシリーズ終了の様なので、自作してもいいかもね。
ルル&ナナは他のライバルキャラと異なり、正式なキャラなり
(ドリームドリームはナナがナゾたま状態でのイレギュラーな状態でのキャラなりだった)
もしていなければ退場後の再登場も現時点で一度もない、微妙に不遇な扱いですよねー。
最終回までにもう一度くらい出番があるといいのですけど果たして?

折角なのでしゅごボンバー版を出して下さい…
無理か、自作しろって?
http://blog.excite.co.jp/exanime/12154750/

未見の方は以下で4回まで見れますので是非。(放送されたのは全6回)

「たまご戦隊しゅごボンバー ×たま帝国の挑戦 集結、3人の戦士!」
http://video.fc2.com/content/%5B%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%5D%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%EF%BC%81%E3%81%B7%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%B7%E3%81%A1%20-%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91/2009122573rwAkRP/

「たまご戦隊しゅごボンバー 今明かされるボンバーロボ421の秘密!」
http://video.fc2.com/content/%5B%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%5D%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%EF%BC%81%E3%81%B7%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%B7%E3%81%A1%20-%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92/200912257w95uwwP/

「たまご戦隊しゅごボンバー 暗黒のしゅごキラー!必殺の0.1秒!」
http://video.fc2.com/content/%5B%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%5D%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%EF%BC%81%E3%81%B7%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%B7%E3%81%A1%20-%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93/20091225MLq5AuFx/

「たまご戦隊しゅごボンバー 蘇れ、しゅごベース!」
http://video.fc2.com/content/%5B%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%5D%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%EF%BC%81%E3%81%B7%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%B7%E3%81%A1%20-%20%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%94/200912259B215Tqd/


閑話休題。
しゅごキャラ!は現在、こういう路線の作品としてはかなり特異なシリーズ延長
(二年に亘る敵組織との対立が完全に和解、その後その黒幕であったひかるが学校に編入、主役チームの見習いとして人として大切なものを学んでいく過程が新キャラ共々、丁寧に描かれる)
が面白いですね。

イナズマイレブンも予想外の延長が続いて驚き
(少なくとも来年3月まではやるみたい。ゲームの方も新作出るみたいですし)
ですが。

しゅごキャラの場合、当初はタカラトミーがメインスポンサーの一つで色々玩具展開も行われてましたが、事実上の撤退
(連結子会社のタカラトミーアーツは継続、玩具メーカーとしては2008年8月~12月まではエポック社、2009年1月以降はセガトイズがスポンサーになるも商品展開は行われていません)
しながらも番組や他の文具などのスポンサーは継続。
タイアップアイドルとの相乗効果も成功しているみたいですし原作まんが(スピンオフ作品含む)も好調なので、いかにタカラがこういう営業がうまくないのか証明してる所がなんとも…
(過去にも赤ずきんチャチャなんかも同様の事態)。


本日のどら焼き日記。
菓心堂の「ジャンボどら焼き」。

Freedom is the right of all sentient beings.

今までのもののほぼ倍の大きさ。

Freedom is the right of all sentient beings.

皿にのせてもでかいのが良くわかります。

Freedom is the right of all sentient beings.

味は、まあ。その。
普通。
皮はパンケーキの様な風味。
餡はみっしりと詰まってはないので皮だけの部位もややあり。
餡の風味も平均的な感じ。
こう書くと、そんなに良くない様にみえますが、他のどら焼きと同じくらいの価格でこのサイズと考えると、充分以上の満足感。ははは。
これはこれで正解!!


おまけ。
子供、特に赤ちゃんや幼児に対し円、丸は意識に一番訴えやすく注意を喚起する形状です。

Freedom is the right of all sentient beings.

彼らが児童に長らく愛され続けるのは、彼らが基本的に円、丸の重なり合いで構成されているスタイリングなのも大きな一因であるのは確かでしょうね。
画像のものはほぼ1/6サイズですが、ケロロ軍曹が思いのほか小さい事に驚かされました。

Freedom is the right of all sentient beings.

護星

近況。
$Freedom is the right of all sentient beings.
こんな感じです。

まあそれはそれとして。

ゴセイジャーはじまりましたね。
「護星天使」という”戦士部隊”たる戦隊としてはかなり突飛なモチーフですが内容自体は例年以上に特化した個性を出してない印象でした。
逆に実に堅実な内容で、メガレンジャー以来久々の長石多可男監督らしいとも思います。
メインライター・脚本の横手美智子氏は戦隊ではデカレンジャー、マジレンジャーに参加、ゲキレンジャーではメインライターでした(特撮では他に燃えろ!ロボコンも参加)がいずれの作品も家族や兄弟、師弟の絆を重視した構成でしたので、天使という柔らかい存在を描くにはうってつけかも知れませんね。
(アニメ作品ではそのものズバリ天使話の「天使になるもんっ!」でメインライターでしたし)
過去のファンタジー戦隊ではギンガマンに似た雰囲気の始まりかただったかな、という印象。
(今後深くかかわる少年との出会いなど。彼の視点からのドラマも少なからず出るのではないかしら)
アクションは、「シンケンジャーVSゴーオンジャー」や今までの予告映像から見て、予想していた範疇に収まっていた感じで、こちらも歴代戦隊第一話に比べるとやや没個性。
ただし、それぞれの所属する属性毎にコンビ、シングルでの戦いという構成の仕方は戦隊でも珍しい組み合わせ方なのでこれを活かしたアクション、殺陣の構成に注目したいです。ロボ戦は次回ですしねー。
気になる点は、スカイック族のみ伝説獣モチーフで他は実在の動物モチーフ、というのが何か意味があるのか、という点でしょうか。
もともとドラクエからの影響での天使モチーフ、という事もあり非常にゲーム的(ダイスオーの兼ね合いもあるでしょうね)な構成になっている様に思いました。
加えて、ファンタジー戦隊としては珍しく殺陣の主軸が銃撃戦だった事も(武器アイテムの商品展開の都合も含めて)ポイントでしょうか。
敵側の幹部名等が過去の有名SF映画(スターウォーズ、スタートレック、ブレードランナー、プレデター等)に由来(ゲキレンジャーの師匠勢がカンフー映画の名優由来同様)してますが、それとは全く関係ない所で味方側のマスターヘッド(今作品の特徴の一つ、ヘッダーギミックに合わせた名称)のCVが沢木郁也氏=ヘッドマスター総司令官・フォートレス、というのはTF好き所以のいらん注目点、苦笑。

Wも安定して面白くて安心。
今回の前後篇で翔太郎、フィリップ、竜のそれぞれの事態に対するスタンスが明瞭に描かれたのも良いですね。

ハートキャッチプリキュアは、多くのファンからはとかくおジャ魔女との相似点が注目されてますが、むしろ、これまでのプリキュアの延長にありながら新しいものを構築せんとする意気込みの方がはっきり感じられて頼もしいです。
アクションについてはやはり格闘も多く盛り込まれていますが、漫符やディフォルメの多様で重さを感じさせないのがポイントでしょうか。
祖母が先代プリキュア、というのも面白いですね。
プリキュア5以降の他人数同時活躍とはまた異なる形で、何人かのプリキュアを存在させる所(主に活躍するのは二人。個人的には女の子を主役に据える場合には一番効果的な人数だと思います)が今後どう扱われるでしょうね。
補足・前回の感想にてメインライター・脚本が山田隆司氏~と記載した際、脚本は栗山緑氏ですよ、というツッコミをこっそり頂きましたので、ここでもあらためて補記しておいた方がいいのかしら、と思いましたので念の為。
栗山緑は山田氏のペンネームの一つです。幾つかの作品で使い分けておられます。

あと普段あまり記載してませんが、エレメントハンターも実に優れたジュブナイル作品として進行してるのが見逃せません。

以上、番組感想。


$Freedom is the right of all sentient beings.
今日のどら焼き日記。
世間ではチョコの日らしいですが、こちらはもちろん自腹でどら焼きですよ?
$Freedom is the right of all sentient beings.
うむ、科学的だ!!

今回のどら焼きは博多松屋菓子舗のどら焼きです。
$Freedom is the right of all sentient beings.
今までで一番単価が高く、一番小さいので高級感抜群だ!苦笑。
$Freedom is the right of all sentient beings.
皮の表面が他のどら焼きに比べて、かなりベタつくのが特徴。
実際、食感もしっとり、というよりはべったり、という感じです。
$Freedom is the right of all sentient beings.
餡に使われている小豆は大納言。
甘さよりも、小豆そのものの旨味が最大限活かされています。
手で割ったり、口に入れた際に皮からふわっと甘く芳ばしい香りがする程、皮そのものにもしっかり味がついており、餡との相性は抜群です。
確実に、餡と皮がお互いに美味さを引き出し支えあっている感じ。
割高なのは伊達ではありませんよ?


地道に探していたチンプイの指人形、ようやく入手しました。
$Freedom is the right of all sentient beings.
箱痛みは激しいですが、中身は完品。よし。
$Freedom is the right of all sentient beings.
今まで画像なんかに使用していたソフビバッジとの比較。
入手して比較するまでは同じ金型流用かしら、とか思ってましたが実際並べるとサイズも微妙に違いますし、全くの別物でした。
…まあ、それはいいとして。
チンプイ、ワンダユウ、エリ、内木さんは当然のチョイスとして何故残り一個が宇宙的超一流デザイナーのデブラ・ムーやねん。
や、本編での印象も確かに抜群に強いですし、何度か出てきますし個人的には青野武CVキャラ、というのも嬉しいですが。
それでも何故?という気がしますよねぇ、はははは。
そうは言ってもスネ美とか入ってても、ちょっと…という気もしますしねぇ。



アニメではデブラ・ムー初登場の回はドラえもんとの合同スペシャルの回で、本編ではなく幕間のアニメにてチンプイとドラえもんが共演。
ただし、ネズミが苦手なネコ型ロボットのドラえもんとネコ(ネコ型マール星人・ジャラシーの影響で)が苦手なネズミ似のマール星人・チンプイは折り合いが悪い、というそれぞれの性質を活かした共演でした。

子供向

スルーしとけばいいのについ。
というものがあるもので。
そうは言っても脊髄反射ではなく、ちゃんと一晩考えての自分なりの意見なのでこっちにも転載。
TFリベンジに対して「子供の夢を踏みにじるのもほどほどにしていただきたい」
と評し、他作品に対して「これぞ子供番組」と書かれた内容でした。
や、正直「その通りだ!」と思う部分も少なからずあるんですが、それはそれとして。

まあ実際には常々言ってる事をまとめただけの事なんですけど。

「TFリベンジ、映画館に3回観に行き、DVDもamazon限定オプティマスセットを購入してる自分が言うのも何ですが、まったくお下劣かつイージーな内容で辟易しますね。
その上であえて述べますが
>子供の夢を踏みにじるのもほどほどにしていただきたい
これは流石に賛同しかねます。
数字が全て、ではありませんが曲がりなりにも全世界での興行成績、軍の全面協力、エジプトロケでのヨルダン王室及びエジプト考古学の最高権威による前代未聞の撮影許可などだけ見ても、ラジー賞を選定する批評家などの意見など取るに足らない実績(批評家の意見が正しければこれだけの結果はありえない)ですし、長年トランスフォーマーを取り巻く状況を見てきた自分も驚くほど、実写映画シリーズによってファン層が大きく広がっています。
特に、女性層と児童層は今まで考えられなかった様な人気で、ショップなどでも驚かれています。
特に子供に限って言うならば、「大人」(歳を重ねた存在、という意味で)の批評家などが意識して挙げる様なディテールよりも、作品そのものの本質を見てしまうので(だからこそ大人よりも率直に良い悪いの判断を出来るのでしょう)、決して夢を踏みにじられてなど、いません。

特にネット時代になって多く見られる意見で、「子供」をあげて、自分自身の意見を述べようとする傾向が多くなった様に感じます。
自身が好ましい、と思わなかった作品に対して
「これは子供を考えてない」だ「映画を観に来た子供が応援してなかった」だの
自身がそうあってほしい子供像をさも全ての子供の代弁者の様に語る輩を見るにつけ、それはその本人の中の幼児性が求める理想であって、けして今現在の血肉を持ち、心や認識をのびやかに育んでいる子供の事ではない事を突きつけてやりたい心境になるのです。

少なくとも子供番組の好きな自身の好みに合わない=子供にむかない、むいてない
子供番組の好きな自身の好みに合う=これぞ子供番組、正統派
という考えは実に安易で幼稚な、正にそれこそが子供だましの本質と同意と感じるのです。

かつて先人たちが真摯に向き合ってきた「子供、児童向け」作品が時代の流れの中で面白おかしく茶化される事もありますが、常に時代は流れています。
その時、その時の子供のそばにいるヒーロー、ヒロインたちはあくまでもその時代の子たちの友達です。
その時代の親=大人が子供の友達の事をとやかく言う、決めつけるのはある意味不躾で愚かなことだと思うのです。
子供は自分で友達を選べるのですから。
その結果、傷つく事があったとして。
それを踏まえて、大人が出来る事を見失わない様に心がけたいものです。

…と、ここまで書きながらももう一度重ねて言いますが
それでもTFリベンジは正直どうか?
と思ってます。や、もちろん好きな部分も少なからずあるんですけどね。」

以上、転載。


以下追記というか
先日、復刻がなされた「二人で少年漫画ばかり描いてきた」
(日本図書センター 人間の記録171/ ISBN978-4-284-70041-2)
Freedom is the right of all sentient beings.
は実に面白く、二人で一人の藤子不二雄時代に書かれた内容で戦後から1970年前半(この本の初版が1977年、連載はその2年前から)の「まんが」の歩みを知るのにも最適なのですが、個人的にひときわ印象深い章がありますので一部、抜粋します。

以下、「僕たちは少年たちの世界に戻った」の項より
「僕たちが劇画『毛沢東伝』を描いた昭和四十六年は少年漫画の退潮期だった。
(中略)
月刊少年誌の休刊は、これら週間少年誌のあおりを受けたことは確かだが、同時に戦後二十年間、異常発達してきた少年漫画の隆盛にもようやくブレーキがかかりだしたことを感じさせた。
少年漫画の退潮にかわって、あたらしく登場してきたのが青年コミックだった。
(中略)
”青年コミック”を描くことは、僕たちに微妙な自己満足感をあたえた。
”少年漫画”を描くことより”青年コミック”を描くことの方がハイブロウな仕事をしている、という気持が、当時の心のどこかにあったのだ。
(中略)
昭和四十四年に『オバQ』以来のテレビ漫画路線の最後の作品『ウメ星殿下』(←注・原文ママ)を終ってから、四十八年までの四年間、僕たちが少年誌に描いた作品はきわめて少い。
(中略)
僕たちの作品はグンとヴァラエティを増していた。
だが、なにか不満であった。かつては新鮮な魅力を感じた青年コミックにも、なぜか意欲が減退していた。
この頃、ブームの青年コミック誌界は、業者以外の他業者からの介入などもあって、まさにボウリング場なみの乱立状態だった。コミックは大量生産、使い捨て時代のトップを走り出した感じだった。
やがてくる石油ショック、紙ショックの大ブレーキがかかるまで。
(中略)
このなにかミタサレナイ鬱々たる気分の原因は”トシのせい”という結論がでた。
たしかに、それもあったが実はほかに大きな原因があったことがやがてわかった。
なにげなく手にとった一通のファンレターがそれを教えてくれたのだ。

<ぼくはオバQから先生のファンです。オバQ、パーマン、21エモン、モジャ公などみんなすきです。いまは『どらえもん』(←注・原文ママ)のファンです。
ぼくの弟のとっている小学二年生をとりあげて、ぼくがさきに『どらえもん』をみるのでいつもケンカになります。
ぼくは大きくなったら先生のようなマンガ家になろうとおもっています。
でも先生はこのごろなぜ少年雑誌にマンガをかかないのですか。ぼくはさびしいです。
これからは少年雑誌にまた、たくさんおもしろいマンガをかいてください

僕たちは「ガーン!!」というショックを受けた。
そういえば、ここ何年間、本腰をいれて少年漫画を描いていない。
”青年コミック”という寄り道にさまよっている間に、本筋である”少年漫画”を久しく描いていないことと、さっきの手紙のような少年読者の熱い手紙の量が、めっきり減っていることにあったのだ。
『どらえもん』は昭和四十五年から小学館の学習雑誌に連載している幼年向けの生活SFギャグ漫画である。この『どらえもん』はテレビ漫画全盛時代の学習誌の中で、唯一ともいうべきオリジナル漫画であった。
もし、この頃『どらえもん』を描いていなかったら僕たちはしらずしらず、”青年コミック”専門の作家に移行してしまっていたかもしれない。
そして、今頃は多分漫画家として続いていなかったにちがいない。
なぜなら、僕たちは本質的に”少年漫画家”であって、”青年コミックの作家”ではなかったから。
僕たちの漫画家生命を救ってくれたのは、
一通のファンレターと『どらえもん』だったのだ。

翻然と目ざめた僕たちは、過去を清算し、『魔太郎がくる』(少年チャンピオン)、『プロゴルファー猿』(少年サンデー)、『オヤジ坊太郎』(少年キング)などによって少年漫画の世界にもどった。
こうして、僕たちのもとへ毎日、少年たちの手紙が多くとどくようになった。
それらの手紙をひもとくたびに、僕たちは少年たちとの連帯を感じるのだ
”青年コミック”を描いている間にはこれがなかった。
いくら描いても、その答えがかえってこないことほどむなしいことはない。
だが少年漫画の読者たちは、作者が意欲をこめて描いた作品には、必ずたしかな答えを返してくれるのだ。
僕たちはこの答えが返ってこなくなるまでは、少年漫画を描きつづけようと、今ははっきり思った。」

補足ですがこの文章は1975~76年頃に描かれたもので、まだシンエイ動画版ドラえもんもなく、77年のコロコロコミックが創刊される前の時期になります。
また、ドラえもんは他の文献などで知られる通り、当初は6誌(よいこ、幼稚園、小学一年生~四年生)で連載されていたにもかかわらず、はじめはあまり注目されていなかった作品でもありました。
1974年から刊行されたてんとう虫コミックの記念すべきナンバー、TC-01がドラえもんの第一巻ではありますがてんとう虫コミック自体もその名の通り、川崎のぼる先生の「てんとう虫の歌」に由来している点も見逃せません。
現在では何よりも知られるドラえもんも当初は世間的にも作者自身にも実は特別な存在ではなかった、という所も踏まえておくと、上記の一文がより意味深く理解出来るかと思います。