小学校の頃、俺が住んでいた地区では学校対抗のサッカー大会があった。選手は基本的に4年生以上から選ばれるのだが、俺と友人数人は志願して3年生のうちから練習に参加した。自分たちの代で地区優勝することをどれほど夢見たことか。そして俺が6年生になった年、サッカー大会は廃止され学校対抗駅伝大会に代わってしまった。あの時の絶望は今でも忘れられない。
なぜ体育祭を始めとする学校行事では、球技よりも徒競走や持久走が採用されるのだろうか。例えばサッカーにおいて、運動神経が良い子とそうではない子とで明暗が分かれないとは言わない。前者であればFWとして前衛で活躍し、後者であればDFとして後衛に回ることになるだろう。しかしチーム戦である以上、個々の優劣が焦点となることはあり得ない。勝利の喜びや敗北の悔しさもチーム全体で共有することが出来るだろう。一方持久走においては、1位からビリまで誰の目にも明らかに個々の運動神経の優劣が順位付けされる。その方がよっぽど残酷ではないか。
ならば考えられる理由はただ一つ、球技はそれを観戦する保護者や来賓、PTAにとって、一目で勝敗が分かりづらく単調で退屈だからであろう。しかし子供たちは、大人の見世物になるために体育を頑張っている訳ではないと、俺は思うのである。