21世紀に入った今も尚、世界では国家ぐるみでの人権侵害が平然とまかり通っている。俺がパッと思いつくのは中国の少数民族弾圧、中東の女性に対する性的搾取、そして北朝鮮の恐怖政治だろうか。では人民の苦痛や不満が限界に達した時、政府や統治機構に対する武力による実力行使、日本史でいうところの百姓一揆は果たして成立するのだろうか。
例えば北朝鮮の場合を考える。人民が飢餓で明日を生きられぬ身となり、斧や鍬を手に立ち上がったとしよう。しかしそのような前近代的な武器では、政府軍の近代兵器を前になす術なく制圧されてしまうだろう。では何らかの勢力の介入によって、人民がより高度な武装を得たとする。こうなると、北朝鮮の政府では手に負えなくなるかも知れない。しかし北朝鮮が崩壊することで、一番困るのは中国である。なぜならアメリカ陣営に対する緩衝地帯を失ってしまうからだ。よって中国は反乱鎮圧のために、北朝鮮に軍を派遣することになる。結果として人民勢力は壊滅、待っているのは何百万人もの大粛清である。
古代や中世と比べて現代の社会倫理は向上した、日本においてはそれが言えるかも知れない。しかし軍事力や国家機能、グローバル政治の進展により、人民の弾圧体制はむしろその精度を飛躍させた。ならば現代倫理とは、先進国がかくあるべしと願うだけの幻想なのではないだろうか。