俺が小学校の頃、クラスの男子はちょうど半々に割れていた。放課後に外でサッカーをする者と、家でゲームをする者にだ。俺は日が暮れるまでボールを追いかけ、汗だくで水道水をがぶ飲みする、そんな愛すべきアホなガキであった。
けれど俺も、全くゲームをしなかった訳ではない。恐らくもう処分してしまったと思うが、実家には確かスーパーファミコンがあったと記憶する。そんな訳で俺は、暇な時に無性にスーファミが恋しくなるのである。しかしそれは、俺が本当に欲しいものではない。俺が今、一番欲しいのはサッカーボールだ。ついでに言うと、貸し切りのサッカー場と暇を持て余している学生時代の友人21人もである。けれど当然のことながら、それは絶対に入手不可能だ。だからその代わりに、俺はゲーム機を欲するのである。
しかしもし若い世代の人たちにとって、ゲームがサッカーの下位互換ではないのだとしたら、それは俺には非常に理解し難いと思う反面、少し羨ましいような気もするのだ。よほどの行動力がない限り、サッカーは一生の趣味にはなり得ない。けれどゲームは生涯の伴侶たり得るからである。無論、金銭的・時間的節度を守って常識的に楽しめばの話ではあるが。