前作『君の名は。』に続き、新海誠監督アニメ映画『天気の子』が今夏一番の大ヒットとなっている。同作は公開6週目で早くも興収100億円を突破、最終興収250億円を記録した『君の名は。』に今後果たしてどこまで迫れるかが注目される。
さて、この新海誠監督や『時をかける少女』『サマーウォーズ』などで知られる細田守監督など、近年頭角を現し勢いを増す新鋭のアニメ監督の多くに、俺はある共通点を感じる。それはスタジオジブリ・宮崎駿監督作品に多大な影響を受けているということだ。盗用や拝借などというレベルではなく、もはや宮崎駿を軌範としてアニメ制作をしているかのようにさえ思えてしまう。
宮崎駿の業績や功勲は今更語るまでもないが、同氏は手塚治虫作品を徹底的に批判したことでも良く知られる。その論調の激しさ、痛烈さたるや、時に氏の文化人としての品格を疑ってしまうほどであった。以前自身でそう語っていたように、宮崎にとってアニメ制作とは、アニメーションの中から手塚治虫の影響を排除していく作業に他ならなかった。
実際、アニメ映画分野においても手塚の遺した功績は測り知れない。今日、例えば『映画ドラえもん』や『劇場版名探偵コナン』といった国民的人気シリーズからアングラな深夜アニメの劇場版に至るまで、アニメ映画のほとんどが漫画原作作品である。そして原作が漫画である以上、例えそれがいかに多様化・細分化されていたとしても、どこまでも遡れば最終的に手塚治虫に行き着く。言うなれば、現在のアニメ映画の主流は「手塚発・漫画屋のアニメ映画」なのである。
ならば日本のアニメ映画の源流は手塚治虫なのだろうか。それもやや違って来る。なぜなら氏の初期の漫画作品を見れば一目瞭然なのだが、手塚はウォルト・ディズニーに極めて強い影響を受けているからだ。ディズニーのアニメの動きを漫画のコマに落とし込む、それが手塚の漫画家としての始まりだった。つまり極めて厳密に言うならば、今日の日本のアニメ映画の源流は手塚でさえなく、それはディズニーの借り物に過ぎないのだ。
けれど今、これまでの「手塚発・漫画屋のアニメ映画」ではないアニメ映画、純然たるアニメ作家によるアニメ映画が静かに、けど確かに息吹をあげようとしている。それが文化の主流に躍り出るか、それとも傍流に沈むかは今後数十年の歴史が審査するだろう。しかし「宮崎発・アニメ屋のアニメ映画」が時代に選ばれた時、それは世界で2例目、そして国内では初のアニメ映画のヘッドストリームになる。
例えば今から半世紀後、もしかしたら宮崎駿は世界においてウォルト・ディズニーと同等の賞賛を受けているかも知れないのだ。