93年サッカー日本代表ドーハの悲劇!!それはラモス王国の限界!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

Jリーグが創始した1993年、アメリカW杯アジア地区最終予選。

ハンス・オフト監督率いる日本代表はFW三浦知良、FW中山雅史、MFラモス瑠偉、DF井原正巳といった当時国内最高のスター選手たちを擁して奮戦、史上初のW杯出場をほぼ手中に収めていた。

しかし最終節の対イラク戦、1点リードを守り続けた日本は後半ロスタイムに同点弾を決められてアメリカ行きの切符を逃す。これが「ドーハの悲劇」だ。

当時俺は小学6年生。カズ、ラモス率いる夢の日本代表には何としてもW杯に行ってほしかったし、オフトJAPANは史上最高のドリームチームであると今の今まで信じて疑わなかった。

然るに最近、当時の日本代表の試合をYouTubeで観るようになり、俺の少年時代の幻想は打ち砕かれた。そこに映っていたのは技術面においても意識面においてもあまりにレベルの低い、まさにアマチュアのサッカーだったからだ。

「何じゃこりゃ。まるでラモス王国、もしくはラモスの接待サッカーじゃないか。これじゃあW杯に出場できなくて当然、あるいは仮に出場したとしても散々たる結果が待っていただけだろう」。

以下、ラモスに独壇場を許した当時の日本代表の問題点を挙げる。

(1)まずラモスの能力的問題。ラモスは技術面こそ極めて秀でているが、スピードもフィジカルもあまりに低すぎる。本来ゲームメーカーは自ら切り込んで敵ゴールを脅かす役目も担わなくてはならないが、ラモスの身体能力ではそれは到底叶わなかったであろう。

(2)次にラモスの意識的問題。ラモスのようにパスに特化した選手が位置すべきポジションは、2列目ではなくボランチである。しかしラモスをボランチ起用することは難しい。ボランチは守備においてもチームに貢献しなくてはならないが、ラモスにはその意識が欠片もなく、相手に攻められている時間帯は自分は走ろうともしないからだ。

(3)最後に他の選手の意識的問題。周囲の選手はいつ如何なる状況でもとりあえずラモスにパス、自分たちは何もクリエイトしようとしない。これでは素人が見てもラモスがキーマンなのは明白、彼を囲まれて潰されたら終わりではないか。

個人的には、ラモスは最も好きだった選手の一人である。なのであまり言いたくはないが、俺が監督ならば真っ先にラモスを外す。そうでもしない限り日本代表は強くなりようがない。

もっともオフト監督は、ラモスを外せなかった罪過よりも功績の方が遥かに大きい。彼は旧態依然とした日本の稚拙なサッカーを、わずか1年半で見違えるほどマシに変えてくれた。しかしそれでもまだ、W杯出場には全然足りないのは歴然だ。

今顧みるに、オフト監督の就任は早すぎた。彼にはラモス代表引退後、独裁者も腰砕けの群衆もいない日本代表を、きっちり4年間任せたかったものである。

さすれば或いは、日本がその後6大会連続でW杯出場を果たしながら、いまだにベスト16で足踏みすることもなかったかも知れない。