なぜ正史『三国志』はつまらないのか!?それは曹操の一人舞台だからだ!! | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

人は三国志について、多くを知るべきではない。

かつて俺は三国志の大ファンであった。導入のきっかけは横山光輝の漫画『三国志』である。すっかり三国志に傾倒した俺は、ネットもなかった少年時代、図書館に通い詰めて三国志に関する本を読み漁った。

しかし通俗歴史小説『三国志演義』に飽き足らず、正史『三国志』にまで手を出したのはまずかった。俺の知る三国氏は、何もかもが後世に上書きされたデタラメだと気付いてしまったからだ。まるで浜辺から潮がひくように、俺の三国志に対する熱は急速に冷めていった。

ではなぜ正史『三国志』はつまらないのだろうか。

その理由の一つは、「天才軍師・諸葛孔明」が大嘘だからであろう。孔明は軍事家ではなく根っからの行政家。行政手腕は当代No.1であったといっても過言ではないが、軍事手腕は『三国志演義』に反して全くの凡庸であった。

まず孔明は、蜀の君主・劉備の存命中はただの一度も軍事を任されていない。そして劉備の死後、5度に渡り北伐(魏へ侵攻)。『三国志演義』によるとそこで魏の知将・司馬懿を翻弄しているが、実際はその真逆。孔明は司馬懿の敷いた持久戦に手も足も出ず、5度の北伐いずれも敗走を余儀なくされている。

しかし俺が思うに、肝はそこではない。正史『三国志』がつまらない最大の理由、それは曹操の一人舞台だからだ。

魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が拮抗してこその三国志。しかし実際には、曹操の才能はあまりにも突出していた。曹操は劉備や孫権よりも遥かに優秀な後漢の豪族たちをことごとく平らげて中国の3分の2を制圧。その間劉備は一度も曹操に勝ったことがなく、孫権にいたっては曹操に挑もうとさえしなかった。

208年、赤壁の戦い。中国全土統一をかけて曹操は呉へ侵攻。これを呉の将軍・周瑜は火計を以て撃破、ここで曹操の天下統一の野望は絶たれた。それを『三国志演義』では周瑜の知略による勝利と書かれている。けれど実際には圧倒的劣勢であった呉軍が一か八かで繰り出した火計、その際に「東風が吹く」という常識的には考えられない幸運が起きてもたらされた勝利だったのである。

魏、呉、蜀が三つ巴して三国志。しかし結局のところ曹操という存在は、その構図には到底収まりきらないほどに傑出していたのである。