98年フランスW杯カズ落選!!岡田監督の判断は果たして正しかったのだろうか!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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「外れるのはカズ、三浦カズ」

日本代表がW杯初出場を控えた1998年2月、日本サッカー界に激震が走った。日本代表の岡田武史監督(当時)が最終メンバー選考にて、当時日本の絶対的エースストライカーであったFW三浦知良を落選させたのだ。岡田監督のこの判断は果たして正しかったのだろうか。

日本はこの98年フランス大会を契機にW杯6大会連続出場。それはサッカー日本代表栄光の始まりであったが、それと同時に俺は日本代表混迷の始まりでもあったと考える。なぜならこのフランス大会において、日本は前線の基軸となりうる2人の選手を失ったからである。一人は言わずもがなカズ、そしてもう一人は若きFW城彰二だ。

W杯本大会、カズに代わってエースストライカーとしての期待を一身に担った城彰二。しかし結果はアルゼンチン、クロアチア、そして格下と目されていたジャマイカにまで黒星を喫し3連敗で予選リーグ敗退。ファンの怒りの矛先は無得点の城に向けられた。

城は再起不能となるまでメディアに叩かれ、その後のプレーは精彩を欠き代表落選。そしてカズ、城という2人のエースFWを失った日本代表は、慢性的なFWの決定力不足に悩まされることになる。それは08年、第2次岡田JAPANにおいてFW岡崎慎司が台頭するまで、実に10年もの長きに及び日本代表を煩わせ続けた。

かのW杯フランス大会、確かに不調であったカズをスタメンで使い続けるのは無理があっただろう。しかし若く経験の浅いチームにおいて、新エースの城が浮足立たずに伸び伸びとプレーする為にも、ベンチにカズという経験豊富な精神的支柱の存在はやはり必要不可欠だったのだ。

こう述べると、次のような反論が挙がろう。「いやいや、精神的支柱ならばFW中山雅史がいたではないか」。けれど残念ながらそれはお門違いである。中山は確かに年齢的にはベテランの域に達していた。しかし中山が岡田JAPANに招集されたのはアジア地区最終予選の途中からだ。彼は当時の日本代表の中ではいわば”新参者”であり、チームの中心にはなり得なかったのだ。

  ◆サッカー日本代表通算得点数
   1位 釜本邦茂  75得点
   2位 三浦知良  55得点
   3位 岡崎慎司  50得点
   4位 原博実  37得点
   4位 本田圭佑  37得点
   6位 香川真司  31得点
   7位 高木琢也  27得点
   8位 木村和司  26得点
   9位 中村俊輔  24得点
   10位 高原直泰  23得点

世間の批判を恐れず、ただチームの勝利の為だけに最善の決断をする。岡田監督のそのような姿勢は大いに頷けよう。しかし監督がベストを尽くすのは当たり前のことである。その上で何を以て評価されるか、それは選手同様に結果だ。

そして結果から言うならば岡田監督のフランスW杯カズ落選は、W杯本戦でのチームの戦術面においてはもちろん、次の世代の日本代表FWへの段階的な世代交代という観点から見ても大失策であったと言わざるを得まい。