「量子力学」が難解である最大の理由は、それが我々の常識的感覚とあまりにかけ離れているからである。
例えば「ある粒子xはある時点tにおいてある地点Pに存在する」。我々はそのことに一切の疑問を抱かない。たとえ観測によって確認しようとしまいと、粒子xが地点Pに存在することは揺るがない事実であると。しかし量子力学の解釈は全く違ってくる。
我々が観測していない時、xは地点Pに30%、地点Qに15%、地点Rに10%とあらゆる場所に不確定かつ確率的に分布していて(「確率の波」の状態にあり)、「我々人間が観測した瞬間に確率の波は粒子としてある地点に確定して存在することが出来る」(命題A)。
しかし命題Aが真であるならば、話はとんでもない方向に飛躍してしまう。「宇宙はそもそも不確定で実体がなく、我々人間が観測することによって始めて確定的に実体を得ることが出来る」(「人間原理」)などというトンデモな解釈まで生じてしまうのだ。
けれど俺などはつくづく思ってしまう。人間は全知全能の観測者なのか、断じて否だ。ならば逆転の発想で、命題Aを次のように言い換えられないだろうか。「そもそも宇宙やそれを構成する粒子の実体は不確定な確率の波であり、しかし我々人間の知覚ではそれを粒子としてしか認識出来ない」(命題B)。
仮に命題Bが真であるならば、はるか数万数億光年の彼方、宇宙を真の姿すなわち確率の波として知覚している知的生命がいるかも知れない。彼らの目には森羅万象はどう映っているのだろうか。何とも神秘的ではないか。