「弁論」と「スピーチ」は一見似ていて実は全く非なるものではないか!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

「弁論する」を英語でいうと「make a speech」。今日日本において、「弁論」と「スピーチ」はほとんど同義語のように用いられている。


しかしながら俺は思う。「弁論」と「スピーチ」は一見似ていて実は全く非なるものではないか。「弁論」が重いテーマを取り上げ自身の主張を強く訴えるのに対し、「スピーチ」は楽しませることを前提としテーマも論調もライトである。


さて俺が高1の時、現代文の授業で「各自原稿を書いて3分間スピーチをする」というものがあった。そしてそれを聞いたクラスメイト全員がAからCの3段階でそれぞれ評価し合うのだ。


他のクラスメイトが戦争や環境破壊、人権問題などヘビーな題材で各々持論を展開する中、俺の原稿のテーマは「週刊少年ジャンプで最強のキャラは誰か」。俺はこれでその日一番の大爆笑をさらった。


しかしいざ俺の評点となると、散々俺のスピーチで爆笑していた連中が、皆こぞって手の平を返して最低ランクのC。理由「テーマがふざけていて内容も不真面目だから」。


いやいや、待て待て。確かに俺のスピーチがテーマも内容も薄っぺらかったのは認めよう。しかし俺は「スピーチをしろ」と言われたからあえて軽快な原稿を書いたのだ。もし課題が「弁論をしろ」だったら、俺はそれに見合った原稿をいくらでも書けただろう。


そして半年後、俺は口だけではなくそれを実証した。高2になりエントリーした「校内弁論大会」で、俺はぶっちぎりの得票数で優勝したのだ。どや見たか、これが俺の「スピーチ」ではない本気の「弁論」だ。


もう一度言う。「弁論」と「スピーチ」は一見似ていて実は全く非なるものではないか。