真っ白な時は風にさらわれて3月、怪談の季節到来である。そこで今日は、子供の頃母から聞いた話を一つしたい。
俺の母親は小学校の教師である。昔母は同僚の教師と2人で、修学旅行の下見に現地視察へと赴いた。
各地を転々と見回った母とその同僚は、足を棒にしながらさしあたりその日泊まる宿を探していた。そしてとある旅館へと行き着いた。
古めかしいその建物は手入れのされていないうっそうと茂る竹林に囲まれて、何ともおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
しかし予約もしていないのだ、贅沢は言っていられない。母たちはその旅館に泊まることに。
母たちの他に誰も宿泊客のいない、さびれた館内に女将とおぼしき老婆が一人。その殺風景な光景に思わず躊躇しながらも、母たちはそれぞれ別々に部屋をとることにした。
きしきしと音立てる廊下を老婆に導かれ歩んでゆく。母が通されたのはその最奥の部屋であった。ふすまを開ける。古びた和室、全身にまとわりつく湿気をおびた冷たい空気。思わず背筋に走る悪寒。
けれど、明日もまた早くから各地をまわるのだ、今さら四の五の言ってはいられない。早々に入浴、食事を済ませ、母は床についた。
夜中にふと目を覚ます。深夜0時を過ぎた頃だろうか。部屋の暗がりの中、周囲の視界もままならない。しかし母ははっきりと視線を感じていた、「何かがそこにいる」。
“それ”は部屋の隅にてうごめき、そしてじわじわとこちらへ迫ってくる。「来ないで」、母は部屋の電灯をつける。そこにいたのは、鏡に映った母自身だった。
何という大まぬけ、我ながら何という恥ずかしさ。皆に言ったらとんだ笑い話だ。まあこれも旅の土産としよう。母は再び布団に入り、その日はぐっすりと眠った。
翌朝、母は奇妙なことに気付く。その部屋には鏡など無かったのだ。