道端にうずくまる老人が在らば、俺は立ち止まり声をかける。容態を確認して可能な限りの処置をし、場合によっては救急車を呼ぶ。
こうして俺が介抱した老人は、この半生で優に10人を越えよう。それは何も助けた老人たちの為ではない。俺自身が、善行の後は飯が美味いからだ。
しかしこのような俺の善意に基づく行為、それを「偽善」と呼ばれるのは実に心外だ。思うに「偽善」とは、他者に善を施すことでそれ以上の実益を得ようとする行為である。
せめて俺の行為、それは「自己満足」と呼んでほしいものだ。他者に善を施しても、俺には何の実益もないのだから。