かくして天才軍師・諸葛孔明という大嘘はでっち上げられた!! | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

本家中国はもちろん、今や日本でも知らぬ者なき三国志。魏の曹操、呉の孫権、そして蜀の劉備、三つ巴の覇権争いは壮大にして勇絶の極みである。そして数多の参謀、武将が登場する三国志の中でも、No.1人気を誇るのは何と言っても劉備の配下、天才軍師・諸葛孔明であろう。奇想天外な策略を繰り出し宿敵・曹操軍を次々と撃退する様は、まさに痛快至極だ。


ところが、天才軍師・諸葛孔明。彼の胸のすくような大活躍は全てフィクションである。そもそも諸葛孔明は軍事家ではない、行政家だ。実際君主の劉備が存命中、孔明はただの一度も軍に帯同したことはない。ただひたすら留守を守り固めていた。劉備の臨終に際し、初めて孔明は行政、軍事の全権を委ねられる。ようやく軍師・諸葛孔明の誕生だ。そしてそこから蜀軍のボコ負けが始まった。実は孔明は、軍事の才能がゼロだったのである。


ではなぜ、諸葛孔明は天才軍師として祭り上げられたのか。孔明の死から200年後、東晋の代に入り、中国では大諸葛孔明ブームが巻き起こる。当時の仕官試験の論文において、例えば「私は曹操のような人間になりたいです」などと書こうものなら大問題だ。なぜなら曹操とその息子の曹丕は、後漢皇帝に禅譲を迫り帝位を奪った大逆臣だからである。その一方で「私は諸葛孔明のような人間になりたいです」、こちらは抜群に試験官のウケが良かった。孔明は公正無私な忠義の臣として知られていたからだ。よってこの時代、膨大な量の諸葛孔明を褒め称える文献が世に出た。それらに基いて16世紀明代に書かれたのが、今日の三国志のベースとなる『三国志演義』なのである。


かくして天才軍師・諸葛孔明という大嘘はでっち上げられた。しかし最後に孔明ファンの為に、せめてものフォローをしておく。繰り返しになるが、孔明の本分は軍事ではなくあくまで行政である。行政家としての彼の才量は、三国志に登場する宰相の中でも比類なきと言われている。