手塚治虫と藤子・F・不二雄 | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

活字嫌いだった俺にとって、漫画こそがまさに文学であった。

そんな俺が少年時代、
夢中になって読んでいたのが手塚治虫作品である。

ヒューマニストであった手塚治虫は、その生涯に渡り、
人類の文明に警鐘を鳴らし続けた。



例えば『鉄腕アトム』は、
自我と感情を持ったロボットの悲劇を描いた作品である。

さらに『火の鳥』においては、
行き過ぎた科学文明を痛烈に風刺している。



手塚治虫にとって科学とは、
まさに「人間性の喪失」に他ならなかったのであろう。

手塚治虫が人類に投げかけたアンチテーゼ、
果たしてジンテーゼは存在し得ないのだろうか。

思うにその答えは、藤子・F・不二雄作品の中にある。



例えば『ドラえもん』。

特筆すべきは、科学を受け入れつつもその万能性を否定し、
その上で、人間の気付きを肯定的に描いている点だ。

科学の限界と人間の可能性。
それは『T・Pぼん』という作品でより鮮明に描かれている。



両巨匠が亡くなった今、俺は思う。

手塚治虫という偉大な師が人類に遺した問いに、
藤子・F・不二雄は生涯をかけ答えようとしたのではないか。