「……」
「……」
「……」
「目覚めよ…」
「ん…」
「目覚めよ…」
「うん…ん…」
「目覚めよ――」
「はっ!ここは一体…」
「目覚めたか、人間よ…」
「あなたは…あなたは神ですか…?」
「ふむ…人間は決まってわしをそう呼びたがる。
わしには”神”という概念がさっぱり分からん。
じゃが、そう呼びたければ好きにせい」
「なぜ神様が…私の前に…?」
「わしは時を告げに来たのじゃ。
今宵、お前は尽きる」
「尽きる…?」
「死ぬのじゃ。与えられし天寿を全うするのじゃ」
「死ぬ…そんな…」
「……」
「私は…私はまだ死ぬ訳にはいきません…」
「……」
「私はまだ死ぬ訳にはいかないのです!」
「受け入れい。何者も時には抗らえん」
「私にはまだやらなくてはならないプロジェクトが…」
「……」
「それに私には…私には妻と5歳になる息子がいるのです!」
「受け入れい!お前の肉体はその役割を終えたのじゃ。
お前の鼓動、お前の呼吸、
それらは定められた回数を全うしたのじゃ」
「私には妻と5歳の息子が…」
「……」
「私には…」
「……」
「……」
「生が必然ならば、死もまた必然。
全ての生物は本能でそれを知り、受け入れる。
しかし人間だけが、真の理に目を背け、余計な産物を生に付す。
”執着”じゃ」
「……」
「お前もまた然りじゃ。
”執着”がいたずらに死に畏れをもたらし、死を拒む。
拒めば拒むほどに、目は塞がれ、真の理は遠ざかる」
「……」
「…とは言ってみたものの…
それで『分かりました』と死を受け入れた人間は、
かつて誰一人とていなかった。
ふむう…さて、困ったものじゃ…」
「私に…」
「ふむ…?」
「私に時間をください…1週間でいいんです!」
「いかにも人間らしい強欲じゃのう」
「では3日…私に3日をください!」
「……」
「私に3日を…どうか…」
「……」
「……」
「ふむ、よろしい。お前に余命3日を与える。
その3日の間に、お前の”執着”を片付けて来るが良い――」
金曜日。
私は会社で、現在抱えているプロジェクトのチーフを辞任し、
後任への引継ぎ作業を全て済ませて来た。
私の後任はまだ若いが、私より優秀だ。
必ずや、このプロジェクトを成功へと導いてくれるだろう。
土曜日。
私は息子と、遊園地へ行った。
「誕生日に遊園地に連れて行く」、
その約束を果たせぬまま、気がつけば一月が過ぎていた。
「パパ、高い高いして!」
「いいぞ、それ!」
知らなかった。
息子は重くなった。こんなにも大きくなっていた。
息子のランドセル姿、学生服姿、そしてスーツ姿…
私はもう見ることの出来ない息子の全てを、
そのあどけない笑顔に重ね、
やりきれない悲痛にも勝る微笑ましさに心を委ねていた。
夜、妻の携帯が鳴った。
妻は入浴中だった。私は何気なく妻の携帯を開いた。
それは男からのメールだった――!!
私は妻のメールの履歴も見た。
そこには私の知らない妻が、
男と心から愛し合っている妻が詳細に記されていた。
しかもその男は、私の息子とも既に会っているではないか!
何という仕打ち!何という裏切り!
許せない!許せない!許せない――!!
日曜日。
私はソファーで、ブランデーをチビチビやっていた。
妻は台所で、夕食の後片付けをしていた。
その後姿が、どんなに手を伸ばしても届かないほどに、
私には途方も無く遠く感じた。
こんなにも私から妻を遠ざけたものは何か?
言うまでもない、それは妻の裏切りだ!
私は結婚して以来、身を粉にして働いて来た。
全ては妻と息子の為だ!
しかしその間に妻は、私の愛情を踏みにじった。
踏みにじったのだ!
私は妻に声をかけた。
「エイ子、たまには一緒に飲まないか」
「やだ、あなたったら突然何を言い出すの?」
「いいからこっちへ来て座れよ」
「あなた…」
「……」
「……」
「こうしてお前と飲むのも久しぶりだな」
「そうね、新婚の時以来ね」
「……」
「……」
「俺がお前にプロポーズした時のこと、覚えているか?」
「やだ、あなたったら突然何を言い出すのよ」
「覚えているか?」
「覚えてるわよ。
あなたったら指輪をくれた後、ダラダラ号泣しちゃって…」
「俺はあの時、心の底からお前を幸せにしたいと思った」
「どうしたの?酔ってるの?」
「本当だ、嘘じゃない」
「あなた…」
「でも今振り返って思う、お前は本当に幸せだっただろうか?」
「……」
「俺は仕事仕事、仕事にかまけて家庭を顧みもしなかった」
「……」
「始めはそれがお前たちの為だと思ってたんだ。
でもいつしか、俺は自分の為に仕事をしていた」
「……」
「俺がお前に与えているつもりでいた幸せ、
それはお前が望んでいた幸せとは全く別のものだった。
俺はそんなことにも気付こうとしなかった」
「……」
「お前には本当に済まなかったと思っている」
「あなた…」
「……」
「……」
「もし…」
「あなた…?」
「もし俺に万が一のことがあったら…
俺が死んだら、お前は泣いてくれるか?」
「ちょっとあなた…?」
「万が一の話だよ」
「そんなの泣くに決まってるじゃない!」
「そうしてくれ。
泣いて泣いて、そして俺のことは忘れてくれ」
「あなた…?」
「俺はいつまでもお前のそばにいたかった。
お前のそばでいつもお前を見守り、
そしてお前を幸せにしたかった」
「……」
「でも俺にはそれが出来なかった」
「……」
「でも、それでも俺はお前に幸せになって欲しい。
お前にはいつも笑っていて欲しい。本当だ」
「あなた…」
「……」
「……」
「もし俺に何かあっても…」
「あなた…?」
「いつかお前の前に、お前を愛し、
お前を幸せにしてくれる人が現れるだろう」
「……」
「その時は、俺に構わずその人と一緒になってくれ。
お前はお前の幸せを掴んでくれ」
「あなた…何かあったの?」
「はは…ただの酔っ払いの戯れ言だよ」
「……」
「ただ…これだけは分かってくれ」
「……」
「俺は本当にお前を愛していた。今も心からお前を愛している。
そしてこれからもずっと…」
「あなた…」
「……」
「どうじゃ?お前の”執着”は晴れたか?」
「…はい」
「ほほ…実にいい顔をしとる。
まるで3日前とは別人のようじゃ」
「……」
「”赦し”を与えたようじゃの?」
「……!」
「口にせずとも目がそう物語っておるわい。
受け入れることとは、即ち赦すこと。
人を赦し受け入れれば、自ずと自らをも赦し受け入れる。
そして初めて、自らの定めをも受け入れることが出来るのじゃ」
「…3日間の猶予を与えて頂いたこと、
あなたには本当に感謝しています」
「何を礼を言う?わしはただ時を与えただけじゃ。
時は有意義にもなれば無意義にもなる。
時を無価値と伏すか、時に価値を見出すか、
決めたのはお前自身じゃ。わしではない」
「はい!」
「さて…どうやら時が迎えに来たようじゃ。
やがて光の束がお前に訪れるだろう。
案ずることなく、安らかにそれを受け入れい――」
真っ白な光が私を包み込んだ。
私はただそれに身を委ね、全身で光を受け入れた。
そして私は、私ではなくなった。
「……」
「……」
「目覚めよ…」
「ん…」
「目覚めよ…」
「うん…ん…」
「目覚めよ――」
「はっ!ここは一体…」
「目覚めたか、人間よ…」
「あなたは…あなたは神ですか…?」
「ふむ…人間は決まってわしをそう呼びたがる。
わしには”神”という概念がさっぱり分からん。
じゃが、そう呼びたければ好きにせい」
「なぜ神様が…私の前に…?」
「わしは時を告げに来たのじゃ。
今宵、お前は尽きる」
「尽きる…?」
「死ぬのじゃ。与えられし天寿を全うするのじゃ」
「死ぬ…そんな…」
「……」
「私は…私はまだ死ぬ訳にはいきません…」
「……」
「私はまだ死ぬ訳にはいかないのです!」
「受け入れい。何者も時には抗らえん」
「私にはまだやらなくてはならないプロジェクトが…」
「……」
「それに私には…私には妻と5歳になる息子がいるのです!」
「受け入れい!お前の肉体はその役割を終えたのじゃ。
お前の鼓動、お前の呼吸、
それらは定められた回数を全うしたのじゃ」
「私には妻と5歳の息子が…」
「……」
「私には…」
「……」
「……」
「生が必然ならば、死もまた必然。
全ての生物は本能でそれを知り、受け入れる。
しかし人間だけが、真の理に目を背け、余計な産物を生に付す。
”執着”じゃ」
「……」
「お前もまた然りじゃ。
”執着”がいたずらに死に畏れをもたらし、死を拒む。
拒めば拒むほどに、目は塞がれ、真の理は遠ざかる」
「……」
「…とは言ってみたものの…
それで『分かりました』と死を受け入れた人間は、
かつて誰一人とていなかった。
ふむう…さて、困ったものじゃ…」
「私に…」
「ふむ…?」
「私に時間をください…1週間でいいんです!」
「いかにも人間らしい強欲じゃのう」
「では3日…私に3日をください!」
「……」
「私に3日を…どうか…」
「……」
「……」
「ふむ、よろしい。お前に余命3日を与える。
その3日の間に、お前の”執着”を片付けて来るが良い――」
金曜日。
私は会社で、現在抱えているプロジェクトのチーフを辞任し、
後任への引継ぎ作業を全て済ませて来た。
私の後任はまだ若いが、私より優秀だ。
必ずや、このプロジェクトを成功へと導いてくれるだろう。
土曜日。
私は息子と、遊園地へ行った。
「誕生日に遊園地に連れて行く」、
その約束を果たせぬまま、気がつけば一月が過ぎていた。
「パパ、高い高いして!」
「いいぞ、それ!」
知らなかった。
息子は重くなった。こんなにも大きくなっていた。
息子のランドセル姿、学生服姿、そしてスーツ姿…
私はもう見ることの出来ない息子の全てを、
そのあどけない笑顔に重ね、
やりきれない悲痛にも勝る微笑ましさに心を委ねていた。
夜、妻の携帯が鳴った。
妻は入浴中だった。私は何気なく妻の携帯を開いた。
それは男からのメールだった――!!
私は妻のメールの履歴も見た。
そこには私の知らない妻が、
男と心から愛し合っている妻が詳細に記されていた。
しかもその男は、私の息子とも既に会っているではないか!
何という仕打ち!何という裏切り!
許せない!許せない!許せない――!!
日曜日。
私はソファーで、ブランデーをチビチビやっていた。
妻は台所で、夕食の後片付けをしていた。
その後姿が、どんなに手を伸ばしても届かないほどに、
私には途方も無く遠く感じた。
こんなにも私から妻を遠ざけたものは何か?
言うまでもない、それは妻の裏切りだ!
私は結婚して以来、身を粉にして働いて来た。
全ては妻と息子の為だ!
しかしその間に妻は、私の愛情を踏みにじった。
踏みにじったのだ!
私は妻に声をかけた。
「エイ子、たまには一緒に飲まないか」
「やだ、あなたったら突然何を言い出すの?」
「いいからこっちへ来て座れよ」
「あなた…」
「……」
「……」
「こうしてお前と飲むのも久しぶりだな」
「そうね、新婚の時以来ね」
「……」
「……」
「俺がお前にプロポーズした時のこと、覚えているか?」
「やだ、あなたったら突然何を言い出すのよ」
「覚えているか?」
「覚えてるわよ。
あなたったら指輪をくれた後、ダラダラ号泣しちゃって…」
「俺はあの時、心の底からお前を幸せにしたいと思った」
「どうしたの?酔ってるの?」
「本当だ、嘘じゃない」
「あなた…」
「でも今振り返って思う、お前は本当に幸せだっただろうか?」
「……」
「俺は仕事仕事、仕事にかまけて家庭を顧みもしなかった」
「……」
「始めはそれがお前たちの為だと思ってたんだ。
でもいつしか、俺は自分の為に仕事をしていた」
「……」
「俺がお前に与えているつもりでいた幸せ、
それはお前が望んでいた幸せとは全く別のものだった。
俺はそんなことにも気付こうとしなかった」
「……」
「お前には本当に済まなかったと思っている」
「あなた…」
「……」
「……」
「もし…」
「あなた…?」
「もし俺に万が一のことがあったら…
俺が死んだら、お前は泣いてくれるか?」
「ちょっとあなた…?」
「万が一の話だよ」
「そんなの泣くに決まってるじゃない!」
「そうしてくれ。
泣いて泣いて、そして俺のことは忘れてくれ」
「あなた…?」
「俺はいつまでもお前のそばにいたかった。
お前のそばでいつもお前を見守り、
そしてお前を幸せにしたかった」
「……」
「でも俺にはそれが出来なかった」
「……」
「でも、それでも俺はお前に幸せになって欲しい。
お前にはいつも笑っていて欲しい。本当だ」
「あなた…」
「……」
「……」
「もし俺に何かあっても…」
「あなた…?」
「いつかお前の前に、お前を愛し、
お前を幸せにしてくれる人が現れるだろう」
「……」
「その時は、俺に構わずその人と一緒になってくれ。
お前はお前の幸せを掴んでくれ」
「あなた…何かあったの?」
「はは…ただの酔っ払いの戯れ言だよ」
「……」
「ただ…これだけは分かってくれ」
「……」
「俺は本当にお前を愛していた。今も心からお前を愛している。
そしてこれからもずっと…」
「あなた…」
「……」
「どうじゃ?お前の”執着”は晴れたか?」
「…はい」
「ほほ…実にいい顔をしとる。
まるで3日前とは別人のようじゃ」
「……」
「”赦し”を与えたようじゃの?」
「……!」
「口にせずとも目がそう物語っておるわい。
受け入れることとは、即ち赦すこと。
人を赦し受け入れれば、自ずと自らをも赦し受け入れる。
そして初めて、自らの定めをも受け入れることが出来るのじゃ」
「…3日間の猶予を与えて頂いたこと、
あなたには本当に感謝しています」
「何を礼を言う?わしはただ時を与えただけじゃ。
時は有意義にもなれば無意義にもなる。
時を無価値と伏すか、時に価値を見出すか、
決めたのはお前自身じゃ。わしではない」
「はい!」
「さて…どうやら時が迎えに来たようじゃ。
やがて光の束がお前に訪れるだろう。
案ずることなく、安らかにそれを受け入れい――」
真っ白な光が私を包み込んだ。
私はただそれに身を委ね、全身で光を受け入れた。
そして私は、私ではなくなった。