大海人皇子一行が桑名に逃げ、不破道を封鎖したりしている時、一方の近江朝廷側は如何なる行動を取っていたのであろうか?…謀反と知れば、素早い対応が自慢の朝廷であった筈なのだが・・・大友皇子を中心とした群臣達の戦略は、果たして的を得たものであったのであろうか、書紀が語る顛末である。引用は青字で示す。日本語訳は、こちら、こちらなどを参照。
是時近江朝、聞大皇弟入東國、其群臣悉愕京內震動、或遁欲入東國、或退將匿山澤。爰大友皇子謂群臣曰、將何計。一臣進曰「遲謀、將後。不如急聚驍騎乘跡而逐之。」皇子不從。則以韋那公磐鍬・書直藥・忍坂直大摩侶遣于東國、以穗積臣百足・弟五百枝・物部首日向遣于倭京、且遣佐伯連男於筑紫、遣樟使主盤磐手於吉備國並悉令興兵。仍謂男與磐手、曰「其筑紫大宰栗隅王與吉備國守當摩公廣嶋二人、元有隸大皇弟、疑有反歟。若有不服色、卽殺之。」於是、磐手、到吉備國授苻之日、紿廣嶋令解刀。磐手、乃拔刀以殺也。男、至筑紫時、栗隈王、承符對曰「筑紫國者、元戍邊賊之難也。其峻城深隍臨海守者、豈爲內賊耶。今畏命而發軍、則國空矣。若不意之外有倉卒之事、頓社稷傾之。然後雖百殺臣、何益焉。豈敢背德耶、輙不動兵者其是緣也。」時、栗隈王之二子、三野王・武家王、佩劒立于側而無退。於是、男、按劒欲進還恐見亡、故不能成事而空還之。東方驛使磐鍬等、將及不破。磐鍬、獨疑山中有兵、以後之緩行。時、伏兵自山出、遮藥等之後。磐鍬、見之知藥等見捕、則返逃走、僅得脱。
當是時、大伴連馬來田・弟吹負、並見時否、以稱病退於倭家。然知其登嗣位者必所居吉野大皇弟矣。是以、馬來田、先從天皇。唯吹負、留謂立名于一時欲寧艱難。卽招一二族及諸豪傑、僅得數十人。
大海人皇子の東國入りで、朝廷内は大騒ぎのてんやわんやになったと記載している。東國に行こうかとか、山に隠れてしまおうかとか、真偽のほどは定かでないが・・・騎馬で追いかけては、と進言する者もいたが、大友皇子は同意せずに幾つかの行動に出ている。一つ目は、東國と倭京に使者を出すこと、二つ目が、吉備國と筑紫国に使者を出すのだが、これらの國が歯向かえば、即座に始末しろと仰っている。
そして吉備國守を有無を言わせず斬捨ててしまったが、筑紫國(栗隈王は筑紫大宰)は、対外的な場所である故に国内のいざこざには関与しないと突っぱねたようである。東國に向かわさせられた使者は、不破に到着する前に伏兵に出合って退散したと伝えている。こんな状況の中で、大伴連馬來田・弟吹負は勝つのは大海人皇子と確信し、それぞれの思惑は違ってはいるが、皇子に従うことにしたと伝えている。
近江側の使者は、謀反の張本人に接触することもできず、例え出来たとしても即刻首を刎ねられたであろうが、逃げ帰っては何の情報も得られなかったであろう。吉備と筑紫へ使者を出すとは?…通説に従えば、帰る頃には事件は決着した後であろう。勿論、この筑紫への派遣及び大宰が協力を拒んだことは、極めて重要な意味を持っている。後に詳述する。
進言である「遲謀、將後。」を絵に描いたような戦略だったわけで、結果論的に大したことはしていないと片付けられ、読み飛ばされて来たところであろう。いや、書紀の記述は継ぎ接ぎだらけで時系列など全く当てにならないとされるのかもしれない。
大海人皇子が桑名に辿り着いた時点での全体の配置を示してみた。大友皇子の作戦は、東國、倭京、吉備及び筑紫への使者の派遣であった。
倭京への経路は図に示したように思われる。詳細は後に判明する。東國への経路は、高安城の下を抜ける行程と推定される。倉山田石川大臣が謀反の嫌疑を掛けられて逃げようとした今來大槻近隣の「倭國境」を通る。
使者は「將及不破」と記されることから図に示した辺りで一部は捉えられ、また退却している。「和蹔」は後に登場するが、この地に大海人皇子側の先遣隊が駐留して場所で、これに挟まれた状況だったであろう。
吉備、筑紫は何度も登場であり、図に示した場所である(吉備は紙面の都合上割愛;下関市吉見)。ここには、間違いなく海路で進んだものと思われる。「筑紫大宰」の頑とした抵抗にあって敢無く帰還するのだが、あらためて地図を眺めると、極めて重要なことに気付かされる。
「筑紫」と「桑名」の距離である。直線距離で3km強に過ぎない。「桑名」で大海人皇子が留まったのは、中臣金連大臣の動向か、と前記で述べたが、もっと危険な状況の確認があったのである。「筑紫大宰」の動向である。おそらく、この状況は、大宰が動かないことも含めて、想定内であろうが(勿論根回しもあって)、殺害されてしまっては、もっと危険な状況になる。
倭國の主力軍団を抱える頭領が動かず、この最終確認は避けては通れない有様であったと推測される。書紀は、「筑紫」の場所をあからさまにしない。読み手に委ねた記述である。故にこの状況を省略したのであろう。当然のことながら、大海人皇子は、安全確認ができた桑名を離れ、単身で不破に移動することになる。
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本段にも多くの初登場の人物が記載されている。詳細はこちらを参照。中でも「栗隈王之二子、三野王・武家王」の出自の場所を求めた。上記の事件の時と同じような配置になっている。書紀編者の戯れかもしれない。
