こんにちはMDです😃
自分用メモ投稿
斜体字( )はAIから出てきた説明です
高校時代、通っていた学校の隣にこんもりとした小山があった。
入学して最初の歴史の時間にそれがいまだに論争を巻き起こしている遺跡だと教師が語りだした
でも15才のボクたちはそんなの全くのゼロ興味
鼻くそほじって熱烈に語る髪の毛ボサボサの歴史教師を眺めていた。
卒業して40年以上経った
自分の中で古代史がマイブームである
自作の古代年表も記載事項が多くなってきた。
学校の横にあった小山は「黄金塚(コガネヅカ)」と呼ばれる遺跡。 出入りは自由
立て看板くらいは立っていたかもしれない。
時は遡る
1950年 この黄金塚の発掘調査が行われ古代の銅鏡が複数見つかった
その銅鏡に「景初三年」と刻まれていたため大騒ぎになった。
なぜなら中国三国志の魏志倭人伝に記録された景初三年(西暦239年)に卑弥呼に銅鏡百枚を与えたという記述と一致しているからである
この小山は卑弥呼の墓ではないか、
発見された銅鏡は卑弥呼が魏から与えられた銅鏡ではないかと論争が始まった
卑弥呼が魏から受け取ったとなれば邪馬台国は九州ではなく畿内にあった可能性が高まる。
卑弥呼の墓であることは、この古墳の築造年代が150年異なるため否定(黄金塚は後の西暦400年頃の築)
銅鏡が卑弥呼が受け取ったモノかどうかについてはいまだに論争中である。
本物説 vs 別物説 の比較まとめ
論点別
年代
卑弥呼の鏡「本物説」
完全に一致。卑弥呼が魏に朝貢したまさにその年(239年)の銘文がある。
卑弥呼の鏡とは「別物説」(非下賜鏡説・国産説など)
年号は単なるデザイン。後世に日本で過去の年号をコピーして作った(仿製鏡)。
鏡のクオリティ
卑弥呼の鏡「本物説」
非常に精巧。最新の成分分析でも古代中国(魏・西晋)の鏡と銅の成分が一致する。
卑弥呼の鏡とは「別物説」(非下賜鏡説・国産説など)
同時代の中国本土(中原地域)の王墓からは、これと同じタイプの鏡が1枚も出土していない。
出土した場所
卑弥呼の鏡「本物説」
邪馬台国畿内説を裏付ける。卑弥呼の死後、各地の有力者に分配された
卑弥呼の鏡とは「別物説」(非下賜鏡説・国産説など)
出土した黄金塚古墳は4世紀末(卑弥呼の時代から約150年後)の築造で、時代が離れすぎている
黄金塚古墳が「4世紀末頃」とされる3つの根拠
考古学では、鏡の年号だけでなく、古墳全体の形や一緒に埋められた別の遺物のスタイル(型式)を総合的に見て築造年代を決定します。黄金塚古墳の場合、以下の3点が決め手となっています
- 出土した「埴輪」のデザイン
- 墳丘から大量の円筒埴輪や、家形・甲冑(よろい・かぶと)形・衣笠形などの形象埴輪が見つかっています。これらの造形の特徴が、4世紀後半から末期にかけて近畿地方で流行したスタイルと完全に一致しています。
- 埋葬施設の構造(粘土槨)
- 後円部から見つかったのは、木棺を粘土で包み込む「粘土槨(ねんどかく)」という構造です。これは3世紀(邪馬台国の時代)の主流だった「竪穴式石室」よりも、のちの時代(4世紀中頃〜5世紀)に発達・定着した埋葬方法です。
- 副葬品のセット(武器・鉄製武具の充実)
- 鏡だけでなく、大量の鉄刀、鉄剣、そして頸鎧(あかべよろい・首を守る武具)や肩鎧などが出土しています。このように実戦的で高度な鉄製武具を大量に埋める文化は、4世紀後半以降の古墳(中期古墳の黎明期)に特有の現象です
ため、「景初三年(239年)」の鏡は「作られてから150年近く大切に保管(伝世)された末に埋められた」と考えざるを得ないのが考古学的な事実です。 → 先祖代々保管して150年後の立派な墳墓に埋めた、はありえるだろう
さて科学的アプローチの方面では
銅鏡の場合、炭素検査は使えず、年度測定はできない
科学分析による「中国製」の裏付け
近年、大型放射光施設(SPring-8)などを用いた蛍光X線分析により、これらの鏡に含まれる微量元素(銀やアンチモンなど)の比率が、中国本土で出土する三国〜西晋時代の鏡とほぼ一致することが判明しました。
これにより「中国で鋳造されて日本へ渡ってきた本物(舶載鏡)」である可能性が極めて高くなっています→そうでもないだろ(後述)
- 鉛の成分も魏の本拠地(華北〜中原)のデータと一致するため、「魏の官営工房で、魏の原料を使って作られた」と判定されています。
https://note.com/cute_hebe442/n/n4046c74dbcc8 ← すごい
→ ただし卑弥呼の時代、原料は100%大陸から来ている。日本国産原料は7世紀以降。なので日本国内で鋳造された可能性が残る
当時の日本国内で生産(鋳造)されたことが確定している銅鏡(仿製鏡/ぼうせいきょう)の原料も、やはりほぼ100%中国(あるいは朝鮮半島)から持ち込まれた鉛や青銅であることが判明しています。
当時の日本列島で作られた青銅器の原料事情について、鉛同位体比分析から分かっている事実は以下の通りです。
1. 弥生〜古墳時代前期の日本には「鉱山」がなかった
考古学および金属工学の最大の前提として、弥生時代から古墳時代前期(3世紀〜4世紀頃)の日本列島において、独自の銅山や鉛鉱山が開発されていたという証拠(採掘遺構や精錬道具など)は一切見つかっていません。
日本国内で本格的な鉱山開発(山口県の長登銅山など)が始まるのは、下った7世紀(飛鳥時代〜奈良時代)以降であることが確実視されています。
続く →

