こんにちはMDです😃





斜体字(    )はAIから出てきた説明です


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黄金塚で出土した景初三年と刻まれた銅鏡 (魏は百枚を贈った)は関東 出雲 奈良でも出土している


がなぜか九州では出土していない


傷(鋳型の微細なズレや摩耗)まで完全に一致する景初三年の同笵鏡」は、九州からは1枚も出土していません。 


この現象に対し、

歴史学界での解釈の応酬(バトル)


畿内説(奈良・大阪が邪馬台国)の主張


「卑弥呼の都は近畿(ヤマト)にあった証拠だ。魏から届いた本物の『景初三年鏡』をヤマト王権が手に入れ、同盟を結んだ近畿・中国・関東の豪族たちに分け与えた。」


九州説(福岡・熊本などが邪馬台国)の主張


「いや、近畿から出土する『景初三年』などの三角縁神獣鏡は、そもそも卑弥呼の鏡ではない(後世に近畿のヤマト王権が偽造した)。福岡の平原遺跡から出たような『超大型の内行花文鏡』のほうだ。





個人的に卑弥呼や台与が君臨した邪馬台国は根拠なく九州にあったイメージがあったが、ここまでくると近畿方面かもしれない


理由は

・黄金塚で出土した景初三年と刻まれた銅鏡の精緻さは群を抜いている

・同じ鋳造元の銅鏡が関東や出雲にまで分布するが九州にはない

 九州は320年前後にヤマトがやっと平定した地域で魏の銅鏡はすでに在庫切れ。九州豪族は外様で配る義理もなかったのかもしれない

・黄金塚出土の銅鏡の成分が魏の本拠地である洛陽近辺のそれと科学的に一致する



関連はないが自分は


ヤマタイコク(邪馬台国)とヤマトコク(大和政権)と聞くと


「それって音から聞くに、同じ国だよな」と昔から感じていた


だって音がモロ似てるでしょう😁


当時日本には文字がまだなかった

だから発音アリキだった

中国の人が日本からの使者発音を聞いて漢字に変換したのだろう


そうなると

ヤマタイコクとヤマトノクニは同じ国だろう



中国に行って銅鏡をもらった 卑弥呼の使者は

「私達はヤマタイコクです」と中国で言ったのを中国が邪馬台国と言う漢字にした


邪馬台国は266年には後継者の台与も使者を出してる

使者は「私達はヤマタイコク」 とまた中国の人(晋になってたかな) に発声した



その後、卑弥呼・その後継者である台与の流れをくむ権力を滅ぼし

「その名前を掠め取って」「ヤマトコク」とした一族がいたと考えられないだろうか。


「掠め取った」は人聞きが悪すぎる

そもそもが「ヤマト」と呼ばれる土地だった

或いは

その権力構造自体を「ヤマト」と呼んでいたのか?


ヤマトを継承したんだな



すなわち

「ヤマタイコク」と中国の人が聞き取った国が西暦250年前後に存在した


そして266年までは邪馬台国は存続してた


その後中国は大混乱の時代


西暦290年に武帝が没すると、翌291年から一族による最悪の内乱八王の乱が勃発します。

  • 国内の自滅: 270年〜300年の終わりにかけて、中国全土は再び諸王の権力争いによって荒廃していきました。

大陸や半島から戦乱を逃れた部族も幾つか列島に渡ってきたかもしれない

 (アマテラスは九州の高千穂に降臨したんですよね)


↓ 

320年頃 「ヤマト」政権は九州も平定した 😯




関連して

大和朝廷が誕生して300年後に書かれた天皇家の正統性をサポートする日本書紀や古事記はなぜ

卑弥呼の存在を隠すのだろう(神功皇后を登場させて卑弥呼を上塗りしている)


と言うその謎も解ける 😱😱


卑弥呼・台与の集団から全く別の部族が権力を奪ったからと考えるのが普通だわな


以上妄想が過ぎました。 しかも書き殴り。

すみません 後で整理して書き直します😅



そんなこんな秘密も

卑弥呼から200年ほど後の五王の時代
その墳墓である仁徳天皇陵(大仙古墳)や履中天皇陵の発掘から新事実がでてくるかもしれない。


早期の徹底発掘調査を期待





最後に


「そこの歴史事実違うよー 」

と言うご指摘大歓迎 


よろしくお願いします🙇