僕がブログを書くのは日々の記録を残すためだ。よく思うのだが、昨日の自分と今日の自分は違う人間だ。人は日々変化してる。大抵は目に見えないほど少しずつ…時には劇的に変化することもある。実際に自分の過去の日記を読むと、気づかないうちに自分が変わっていることに気づく。そういった変化をたどっていくのは、なかなかに楽しい。

 

例えば、この前別れた彼女と付き合う直前に書いた日記を読んだのだけれど、「自分はこんなことを思っていたのか」と呆れながらも笑ってしまった。日記にはこう書かれていた。

 

「彼女のことは気になってはいるけれど、好きというほどではなかったのに、友人たちのせいで後戻りできなくなってしまった。付き合っていくうちに、好きになれるだろうか」

 

「付き合っていくうちに彼女に嫌われてしまうんじゃないだろうかと思うと怖い」

 

ああ、過去の僕。君は彼女のことをこれでもかってくらい好きになってしまうよ。好きすぎて辛いってくらいにね。そして君が予想してた通り、冷められて振られちゃうんだ。

 

日記はやっぱり面白い。

女の子に振られた回数なんてへたしたら2桁に達するかもしれないくらいなのに、なんで今回だけこんなにも辛いんだろうと考えた。そうか、今まではどの女の子とも親しくなかった。ろくに話しかけもせずに、外面だけを見て好きになっていた。振られても、笑ってごまかしていた。

 

しかし今回は違う。彼女と付き合った。1ヶ月という短い期間だけれど、彼女と共に過ごした。ほとんどが通話で、実際にあったのはわずかであったけれど…

 

だからこそ辛いんだ。彼女は僕のことを一度は好きになった。けれど冷めてしまった。それはつまり僕という人物がどんな人間であるかを知った上で、好きになれなかったということだ。僕という人物に価値を見出せなかったということだ。もちろん彼女がこの1ヶ月で僕のことを完全に理解できたとは思えないけれど、それでも自分という存在が否定されたようで悔しくもあり、とても悲しいのだ。

 

失恋がこんなにも辛いものだなんて知らなかった。でもよくよく考えてみれば、付き合ってる間も幸せとは言い難かった。自分はとてもネガティブな人間だから、ずっと彼女に嫌われるのが不安で辛い思いをしていた。恋愛って大変だ。付き合ってる時も、別れた後も辛いなんて救いがない。

 

 

落ち着いてすぐの時は「もう恋愛なんてこりごりだ。ひとりでいい」って思ってた。でも今はそう思わない。やっぱり幸せには大切な人の存在が重要だと思う。それはきっと痛みを伴うかもしれないけれど、もしも手に入れられたなら、それを覆すほどの幸福が待ってるはずなんだ。もう怖がるのはやめよう。

 

まるで中学生の女の子のように幼稚な発言だけれど、元カノに言いたい。絶対にいい男になって後悔させてやるからね。

Twitterを禁止しよう。

LINE漫画を禁止しよう。

「小説を読もう」を禁止しよう。

アニメを禁止しよう。

LINEを禁止しよう。

スマホを禁止しよう。

 

孤独になろう。

 

時間の無駄だと思われるものを何もかも禁止して、生産性のあることに費やそうとしてたけど、意味がなかった。やる気が起きない時は、時間があっても何もできやしないんだ。すごくダメ人間みたいなこと言ってるけどね。

 

でも正直自分でやっててとても虚しい。こんなんじゃなんの楽しみもないじゃないか。自分で自分の人生に制限をかけて、楽しみを失くすなんて馬鹿げている。確かに娯楽に時間を費やしすぎるのはよろしくない。しかし、娯楽をすべて駆逐してしまうのもよろしくない。大切なのはバランスなのだ。

 

それは人間関係も一緒だ。人と関われば、誰かを傷つけることもあるし、傷つけられることもある。それを怖がって、それくらいならばと孤独になろうとする気持ちはわかる。しかし、完全な孤独になることは不可能だ。だって僕は誰よりもさみしがり屋なんだから。幸せになりたいならば、バランスが大切だ。孤独を受け入れつつ、人との関わりも受け入れる。決して依存してはいけないし、拒絶してもいけない。バランスが大切だ。

 

自分は極端な人間だから、それが一番難しいんだけどね。でも人生は長いんだから、これから少しずつ頑張っていこう。

もしも4年前の自分が、今の僕の姿を見たらどう思うだろう。あの頃の僕は全く勉強ができなくて(今も大概だけど)、すでに自分の人生に対する興味を失っていた。

 

「どうせ僕を受け入れてくれるような大学はなかろう。高校を卒業できるかも怪しい。就職もうまくいきはしまい。まあ、給料が少なくてもぎりぎり生きていければいい」

 

なんてことを考えていた。成績は目も当てられないほどひどかった。あまりにも悪すぎてお先真っ暗といった具合だった。もちろん今考えれば、まだ高校1年生だったのだからいくらでもやり直せたのだが、その頃の僕は地面も何もない暗闇に浮いているように感じていた。海外の学校だったために相談できる相手がいなかったというのも、このように感じていた原因だったのだろう。

 

僕はほぼ完全に自分の人生にみきりをつけていた。自分の人生であるのに、まるで他人事のように感じていた。もしかしたら近いうちに死んで、転生して新しく生まれ変わるかもしれないなんて妄想に取り憑かれ、「じゃあ、今期の人生はもういいや」と考えていたこともあった。いわゆる「死にたがり」で、自殺サイトを巡ったりしてた。自分の人生はこれから先も永遠に変わることなんてなく、一生幸せなど訪れないように感じていた。しかし自殺する勇気などあるわけもなく、ただただ生きていた。

 

 

 

奇跡が起きた。

 

海外の高校を無事卒業した。それも優秀な成績で。そして第一志望ではないが、本来ならば入れるはずもない東京の有名私立大に合格した。別れたけれど、彼女も一度できた。日本に帰ってから半年でだ。物事はすべて良い方向に前進している。なのに…

 

自分は未だに「死にたがり」だ。

 

4年前の自分は何を思うだろう。「なぜ未だに不安を抱えているのか理解できない」と呆れるだろうか、「贅沢な悩みだ」と憤るだろうか、それとも「結局のところ、環境が変わっても人の根っこは変わらないのだ」と失望するだろうか…

 

僕の環境は大きく変わった。神様に愛されてるんじゃないかってくらいの強運によって、良い方向にすべて動いている。しかし、僕自身は何も変わっていない。