南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
塾講師&家庭教師おへんら〜光陰です(`・ω・´)ゞ
今日のコンビニバイト研修も怒涛のように過ぎていった(^_^;)
今は全く独り立ちできていなくて、妹殿やブロ友さんたちの支えなしには生きていけないオイラなのだ。昨日、久しぶりに妹殿と電話で話したんやけど、電話を切った後、妹殿がお大師様に思えてきた。
よく考えれば、ランチをご馳走してくれたり、なにくれとなく面倒をみてくれるブロ友さんもお大師様やし、LINE、メッセージ、コメントをくださるブロ友さんもお大師様。
入院を知りメールをくださったМAX時代の保護者の方や岩出市に帰ってきた後にいろいろと心配してくださった保護者の方々もお大師様。
救急車を読んでくださった方も、搬送に携わった方々も、梶浦病院やはしもと整形外科の医療スタッフの方々もお大師様。
自転車を病院まで運んでくださった警察官の方々もお大師様。
オイラを雇ってくれた塾のスタッフの方々も、コンビニのスタッフの方々もお大師様。
オイラのトレーニング中の名札を見て「頑張ってください」と声をかけてくださったお客様も、あたふたしているオイラを優しく見守ってくださったお客様も、お大師様。
えぇ〜〜〜い!皆まとめてお大師様や!!
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
もうこうなったら、これから出会う人は皆、お大師様やと思って接していこう🙇♀️🙇♀️🙇♀️
【お家でお遍路】
善通寺から県道25号、国道319号を南下すれば、金毘羅さん、金刀比羅宮だ。海の神様、五穀豊穣、商売繁盛などの神様として信仰を集め、785段(奥社までなら1368段)の長い石段が有名だ。金毘羅さんを参れなかったのも、今となっては残念無念。
金毘羅さんから満濃池まで行けば、神野寺がある。四国別格二十霊場第17番札所で、弘法大師が日本最大のため池、満濃池を修築した際、その功績を称えて建立された。満濃池を見下ろす高台に高さ3.3mの弘法大師銅像があるそうな。
ちなみに、JR善通寺駅の近くには野球で有名な尽誠学園がある。
県道25号を北上して
第76番金倉寺
金倉寺は、弘法大師の甥で天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地で、縁起によると、智証大師の祖父・和気道善が建立し、「自在王堂」と名づけ、851年に開基の名をとって「道善寺」となった。その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺にならって伽藍を造営し、薬師如来を刻んで本尊にした。928年、醍醐天皇の勅命で、「金倉寺」になった。
「智証大師」は、子供の頃「日童丸」と呼ばれ、たいそう賢いと評判だった。智証大師が2歳の時、一人で遊んでいる幼い体から後光が射しているのを人々が見たそうな。そして、「きっと仏様の生まれ変わりに違いない。将来は必ず立派なお方になられるだろう。」と、この地に立派な子が生まれたと喜び合ったそうな。また、5歳の時には目の前に天女が現れ、「貴方は三光天の一人、明星天子であり、虚空蔵菩薩の仮の姿。貴方が将来仏道に入るなら私がずっとお守りしましょう。」と告げられたという伝説があり、この天女こそが、よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、子供を失った母の辛さを教えられ、後に仏になったとされる「訶利帝母(「鬼子母神」)」で、訶利帝母に守られて育った智証大師は、修行を重ね、仏法を広めることに精進したそうな。
乃木将軍遺品展示室があり、乃木将軍の愛用品、静子夫人の手紙や将軍の直筆、辞世の句が保存されている。納経所の近くには「妻返しの松」がある。明治31年の大晦日、乃木希典将軍が、東京から会いに来た妻・静子夫人を面会せずに追い返し、夫人がこの松の下で帰る決意をしたという逸話が残されている。