南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
無職おへんら〜光陰です(`・ω・´)ゞ
今日は津波注意報やら津波警報やらで避難を呼びかける緊急メールでスマホが賑やかやった。
第一報が入ったとき、すぐにYahooニュースを開くも、地震のニュースらしきものは見当たらない。和歌山県は誤報を流した前科もあるし(しかも、正月に!!)、やたらと試験放送みたいなのが流れるので、もはやオオカミ少年みたいになっている。
今回もそれか?と思いきや、第2報、第3報と続々と入り、妹も心配して「大丈夫か?」と電話してきてくれた。
今回はマジなヤツで、ロシアのカムチャツカ半島でМ8.8の巨大地震が起き、和歌山県でも数十cmの津波が観測されたそうな。
オイラが住む岩出市がある紀北部は山地に挟まれ、紀の川沿いに廊下のように細長く平地があるから、巨大な津波が紀の川を遡上して襲ってきたらと思うと怖いよね。
【本日のお家でお遍路】
第50番繁多寺
松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
第51番石手寺
托鉢に来た空海を冷たくあしらい、8人の子どもを失くした豪農の衛門三郎は、空海を追い四国巡礼を始め、巡礼中、病に倒れた彼に空海は「衛門三郎再来」と書かれた石を手に握らせて葬る。そして、この地の河野家に生まれた赤ん坊の手に「衛門三郎再来」と書かれた石が握られていたという。この石が寺に祀られ、寺名が石手寺となったそうな。
石手寺を打った後は
第52番太山寺
開基とされる真野長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚すると運が開けて大富豪となった。商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したら、高浜の岸で救われた。この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がったので「一夜建立の御堂」と伝えられているそうな。
開基とされる真野長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚すると運が開けて大富豪となった。商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したら、高浜の岸で救われた。この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がったので「一夜建立の御堂」と伝えられているそうな。
第53番圓明寺
アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。また、左甚五郎作の龍があり、行い悪い人が見ると目が光るらしい。ヤバいな、目を合わさないようにしよ(^_^;)