「天皇の処刑」に備えた作戦のため「選抜された隊員たち」に、なぜか「自決」が命じられたワケ | ランゴワンの地図

ランゴワンの地図

 2009年の8月、家の仏壇の引き出しから一枚の古地図を発見しました。地図の中央付近には、「ランゴワン」という地名が記してありネットで検索してみると、1942年1月11日、旧日本軍が初めて落下傘による降下作戦を行った、インドネシアの村の名前でした。

佐々木原正夫氏。1997年、松島にて(撮影/神立尚紀)

 

 

現代ビジネス 2024.06.28

 

 15日午後、三四三空司令・源田実大佐は状況を確かめに、大分基地にあった第五航空艦隊司令部に飛んだ。さらに8月17日、司令は自ら紫電改を操縦、横須賀に向かい飛び立った。

 源田司令が、大村基地に帰ってきたのは8月19日午前のことだった。このとき、司令は、東京で授けられてきた新たな任務を、出迎えた飛行長・志賀淑雄少佐に打ち明けている。

 それは、近く連合軍が進駐してきて日本は占領されるが、天皇の処遇および国体(天皇を中心とする国家体制)の維持に対しては不透明なままであることから、天皇の処刑をふくむ最悪の事態にそなえて、皇統を絶やさず国体を護持するため、皇族の子弟の1人をかくまい、養育する、という秘密の作戦だった。

 

 

 

  初めて知りましたが、興味深い記事ですよ。