読書メモLX『夢十夜』前編 | 読書メモと自己ログとときどきその他

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読んだ本へのコメントなどを気ままに述べるブログです。ほとんど自分の読書記録のようなものになるかと思いますが、他者への紹介にもなるようにしっかりと表現していきたいと考えております。

本日は文豪の作品をご紹介しますニコニコ
ちなみに今回の読書メモは60番目の記事です。
(タイトルからはわかりづらいですよね笑 この辺の話題は昨日のブログを参照してください!

夏目漱石先生の『夢十夜』
です。
 



(あらすじ) 裏表紙より引用
こんな夢を見た。ある夜は死にかけの女が墓のそばで待っていてくれという。またある夜は,「御前がおれを殺した」と盲目の小僧に告げられる。
意識の底に眠る不安を不気味に描く。


夢十夜は,第一夜から第十夜まで全10話でそれぞれ短い物語が描かれています。すべて夢の話という設定だと思います。

そして,そこまで長文にはならないのですが,
分量を考えて本ブログでは第一夜から第五夜まで,そして明日のブログでは第六夜から第十夜までの紹介をしていきます。😅

それぞれちょっとしたあらすじ(注:ネタバレあり)と感想を書いていきます。

(第一夜)
仰向けに寝た真っ白な頬の女が「もう死にます」と言っているのを聞く「自分」。死んだら女を埋めて天から落ちてくる星の破片を目印にして墓のそばで百年待っていてくれと女は言う。ずっと待っている「自分」は女に騙されたのではと疑心暗鬼になる。しかし,自分のほうを向いて割いてきた真っ白なユリの花をみて,白い花びらに接吻し,百年がもう来ていたと実感する。

■感想
 全十夜のなかで最も美しいお話です。少し前に,高校の国語の教科書を見る機会があったのですが,夢十夜が教科書に載っているものの第一夜と第六夜だけ書かれていました。全十夜のなかで確かにこの二夜が教科書には適切なのだろうなと感じます。
 ユリが漢字で百合だから百年という数字の百が表れてということを初読の頃に思って,ネット上でもそういった見解をしている方もいます。実際どうなのでしょうね。真っ白な頬と真っ白なユリという比喩的な感じもあってそこからも女が百合として現れたと考えることもできますし,本当のところは作者しかわからないのでしょうね。
 私は百年待てと言われたら,即座にわかったとは言えないでしょう。笑

(第二夜)
侍である「自分」は和尚から侍なら悟れぬ筈はなかろう,いつまでも悟れないのは人間の屑だと煽られる。置時計が次のときを打つまでに悟れば和尚を殺し,悟れなければ自刃する覚悟を決める。無とは何か,を考え悟ろうとするが,やはり有ると感じ頭が変になる。そして時計が鳴り始めた・・・

■感想
 一度何かの時(大学の一般教養の授業だった気がします)に「無」とは何かを考えたことがあります。しかし,結局よくわからないまま… 「無」が存在すると仮定すると,その「無」が有るということになって「有」となってしまうのでは,というところからよくわからない状態になりました。しかし,この時代にも「人間の屑」と罵ることがあったのですね。最終的な場面は描かれていませんが,文章だけから類推すると侍の「自分」は自刃したのでしょう。(他の解釈も見かけたので,これが絶対的な解釈ではないですが…)


(第三夜)
 六つになる青坊主の子どもを負ぶって道を歩いている。子どもは「重くないか」と尋ねてくる。「自分」は重くないと答えるが,今に重くなるといわれる。森の中の杉の木を見つけ,子どもから「御前がおれを殺したのは今から百年前だ」と告げられる。自分を人殺しと自覚した途端に,子どもを重く感じるようになった。

■感想
 これは,初読の時に恐怖を感じました… 実写でホラーになりそうではないかと思った次第です。人殺しと自覚したときに「重く」なるというのはどういうことでしょうか。罪の意識ということなのか,私の乏しい知識や経験値ではどうにも判断できません。とりあえず自分としては罪の意識が重さを感じさせたと考えています。

(第四夜)
 酒を飲んでいる爺さん。何歳であるかを忘れ,家はへその奥であるという。そして,柳の下まで行き,「手拭いが蛇になる」と言いながら笛を吹き,輪の上を廻した。その後,箱の中に手拭いをしまい,「蛇になる」と言いながら河岸へ。そのまま,爺さんは河の中へ唄いながら入っていき,そのまま上がってこなかった。

■感想
 本当に意味がよくわからなかった,というのが正直な感想です。これも第三夜に続けて怖さを感じました。爺さんはいったい何者なのか,蛇になると言った意図は…
考えれば考えるほどよくわからないです😖

(第五夜)
 「自分」は戦に負けて生捕(生贄)になっている。敵の大将から死ぬか生きるかと聞かれ,降参をしないということで「死ぬ」と選択した。しかし,愛する女と逢うために,夜が明けて鶏が鳴くまでは待つと約束させる。女は白い馬に乗って,「自分」のところへ向かっていた。しかし,鶏の声が聞こえ,女と馬は岩の下の深い淵へ。その鶏の声は天探女であった。


■感想
 第四夜と同様,あまりよくわからない部分もありました。しかし,まだ場面が想像できました。そこが救いです(笑)とくに,「自分」の感情を描く箇所がなく,淡々と出来事を記述しているもので色々な読み方ができそうです。天探女は,本文中には「あまのじゃく」という読み方がふられています。しかし,『古事記』においては,「あめのさぐめ」という読み方をするらしいです。Wikipedia情報によると,現在の「天邪鬼」の原像とされているらしいので,それを踏まえての読ませ方なのでしょうね。『古事記』の内容と関連があるというような記述をどこかで見た覚えがあるのですが,『古事記』はちょっとした紹介文を読んだのみなのでよくわからないという残念な現状です。
いつか『古事記』を読んで天探女の記述を見つけたいと思います。



とりあえず本日は以上になります。
次回(たぶん明日に投稿)は第六~十夜と全体の総括的な感想を書く予定です!