【餃子は仁術なり】

餃子は元々は病を癒す良薬で、張仲景が民衆を救おうとして発明しました。

餃子は宋代以前には「角子」(jiǎozi)または「水角児」(shuǐjiǎoer)、元代には扁食(biǎnshí)と呼ばれ、明代以降一般に餃子(jiǎozi)と呼ばれるようになりました。餃子は新旧交代の意味を持ち、またその形状が元宝(昔の貨幣)に似ているので、一盆ずつ食卓に運ばれる様子は「新年には大いに儲け、元宝が転げ込んで来る」のを証するかのようです。それで北方の人は年越しの際餃子を食べるのです。しかし実は餃子は本来は病を癒す良薬で、その起源は医聖・張仲景と関係があります。


張仲景は人々を癒し救うために餃子を発明しました。

張仲景は南陽の人で、東漢末期に生きました。彼の「傷寒雑病論」は医家の成果を集めたもので、歴代の医者から古典として奉じられています。張仲景には「進んでは世を救い、退いては民を救う。良き宰相とならざれば、良き医師とならん。」という名言があります。建安年間、張仲景は朝廷から派遣されて長沙の長官を任されました。しかし彼は相変わらず自身の医術を用いて人々の病苦を除いていました。封建時代において、役人は自由に一般人の家に入れませんでした。そこで張仲景は一計を案じ、毎月初日と十五日を選定し、役所を開放し政務を行わず、執務室(大堂)の端に座り人々のために治療を行いました。張仲景のこの行いはこの地にセンセーションを引き起こし、以来人々は、この偉大な医学者をしのんで、薬屋に座して人々を診察する医者を「座堂先生」と呼ぶようになりました。

張仲景は後に官界の闇が嫌になり役人を辞めて故郷に帰りました。帰郷はちょうど厳冬の時期で、彼は痩せて生気なくボロを着た多くの家なき人々を見かけました。多くの人は耳に凍傷さえ負っていて、とても辛く思いました。それで弟子に命じて南陽の東関に診療小屋を建てさせ、大鍋を吊るし、冬至から(旧暦の)除夜の期間「祛寒嬌耳湯(qūhánjiāoěrtāng≒寒邪を祓う可愛い耳のスープ)」を施して凍傷を治療しました。

彼は羊肉、唐辛子といくらかの駆寒薬剤を鍋に入れて煮込んだ後、これを掬って切り刻み、小麦粉の皮で包んで耳のような「嬌耳」を作り、これを茹でて熱してから人々に分け与えました。人々は「嬌耳(可愛い耳)」を食べ、「祛寒湯(寒邪を祓うスープ)」を飲むと、全身温まり耳も熱を帯び、凍傷を負った耳はすっかり治りました。それで後の人は張仲景の「嬌耳(jiāoěr)」の形を真似て、食品を作り年越しの際に食べ、これを「餃子(jiǎozi)」と呼び、今でも南陽一帯には「年越しに餃子の椀を運ばなければ、凍え切った耳を誰も治せない」という民謡が有ります。

餃子の歴史的変化

文献の記載によると、春節の時餃子を食べるという習俗は遅くとも明代には現れていました。特に注目すべきなのは、清代になって、こうし習俗がすでに非常に広まり、且つこれが固定化したことです。こうした習俗は中国古代の時間計算法と関係があります。中国は古代十二支を用いて毎日の時間を記録していました。それで一日を十二に区切りました。一日の初めは子の刻で、子の刻は現在の夜23時から1時までの間に相当します。年末になり、除夜の時は、新旧両日が入れ替わるだけでなく、新旧両年も入れ替わるので、中国人はこれを「交子(jiāozǐ≒子が交わる)」と呼んだのです。

中国人は節目特に旧を改め新を迎えるこの節目に注意を払います。ならばこの時には何らかの儀式を行って来年の吉祥如意を祈求するべきで、それでこの時に餃子を食べるのです。餃子と「交子」が丁度同じ音(ジャオズ)で、また餃子には沢山の吉祥を暗示する文化的背景があるので、中国人はだんだんと、春節の初日、交子(子が交わる)の時刻に餃子を食べる習俗を形成しました。家族愛を尊重する中国人にとって、除夜の夜には、窓の外は雪が降り静まりかえり、家の中では灯がともり人を暖め、鍋は熱気で沸き立っていて、すべての思いと祝福があの薄い餃子の皮の中に包み込まれています。真っ赤な炎で煮えたぎった湯は、ゆでるほどに味わいが増し、新旧交代の爆竹の音とともに、餃子を盛ると、来年への素晴らしい期待も盛り上がるのです。

三国時代の魏の人・張揖著の「広雅」の記載によると、その頃すでに三日月に似た形の「餛飩(húntún)」という食品が有りました。これは現在の餃子の形状と大体同じです。南北朝の時代になると、餛飩は「形半月の如し、天下皆食す」と言われました。推察によると、当時の餃子はゆで上がった後、すくって単独で食べるのではなく、スープと一緒に椀に盛って混ぜて食べたので、当時の人々は餃子を「餛飩」と呼んだのだそうです。こういった食べ方は我が国のある地区では依然として盛んで、河南、陕西などの地域の人は餃子を食べる際、スープの中にシャンツァイ、刻みネギ、干しエビ、ニラ等の具材を入れます。

大体唐代になると、餃子はすでに現在の餃子とほとんど同じになり、すくいあげて皿に載せて単独で食べるようになりました。

饺子原本是治病良药 张仲景发明想救治百姓
http://www.chinanews.com/cul/2013/02-07/4555615.shtml

祛寒嬌耳湯・動画
http://www.tudou.com/programs/view/b-3HWq3kOk0/

張仲景の鍼灸学説
http://www.chuui.co.jp/book/pdf/kakuka-mihon2.pdf

◇本年の旧暦の除夜(除夕)は二月七日で、元旦は二月八日で、中国ではこれを春節として、現在の正月よりも盛大に祝います。
◇張仲景が創ったとされる祛寒嬌耳湯ですが、耳に似た形状の「嬌耳(jiāoěr)」は、餃子の別名「餃餌(jiǎoěr)」とも音がにていますし、「嬌耳(jiāoěr)」→「嬌児(jiāoér))→「嬌子(jiāozi)」と変化したとも考えられます。
上記の文にでてきた餃子の別名、角子、交子、そして嬌子も全て「ジャオズ」と読むことができます。(イントネーションはことなります。)
◇最後にでてきた「餛飩(húntún)」は餃子とスープを一緒に食べるからこの名がついたのだろうとされていますが、説明不足ですよね?多分「混沌(hùndùn)」を連想させる文字と音だからなのだろうと思います。具とスープを混然一体にして食べるからなのでしょう。餛飩は現代語ではワンタンの意味です。
◇私が張仲景が餃子を創ったという話しを初めて知ったのは約二年前です。非常に感動しました。それ以来餃子を食べる時に張仲景を思い浮かべないことはありません。鍼灸学校でどうしてこういう話しをしてくれなかったのだろう?これを聞いたらどれほど感動して古典を勉強したことだろう?と思うと残念でなりません。
◇因みに中国では水餃子、蒸し餃子が主で、日本人の好きな焼き餃子は鍋貼(グオティエ)と言います。読んで字の如し、鍋に貼って焼くからなんでしょうね。

写真は、張仲景と祛寒嬌耳湯、元宝、元宝の形の餃子