熊本最終日

いつもちかさんが
空港まだ送ってくださる。


その道中、話しているだけで

いろんなアイデアが湧いて来る。


今回も
そういうことだわ、と言語化できたことがあった。



絶品のあわびさま。。!




わたしは

前世リーディングとか

過去世とかの話が


あんまり好きじゃない。



前世を信じてないわけでは
ない。




自分の設定がガラリと変わるような

そんな気づきもあると思うけど


扱い方が、
その見方が

なんだかな、と思う時が多いんです。




例えば


あなたの中には

天照大神がいます
推古天皇が見えます
ジャンヌダルクの血が濃いです
大天使がついてくれています



それはとてもありがたいですし

そういう「ご加護」のおかげで生きているのも

全身で感じています。




だけどさ。


わたしの中には

訳わからないまま、
のたれ死んだ人も

薄汚い盗人も

親に売られた娼婦も

幸せを感じないまま
死んだ奴隷も

何一つ、
成し遂げられなかった人も


もしくは

踏み潰されたアリさんや

子供に弄ばれたダンゴムシ

ただただ生命機能だけを
全うした何かの生き物


きっといると思うんだよね。


うん、絶対いる。笑



伺う前「今日は食材がなくて」と仰ってたのに

このクオリティ。笑

「ない」って、やっぱりあるんだな…笑




細胞で
感情、記憶を覚えている、

そうだと思う。


でも

「良き時」
「良しとされた人」

の一部分だけで

全てが
癒されない。

私はね。


もっと弔いたい。
命を。



上部の良し悪しで
前世を知っても


その気づきが今世を変えるくらいの
パワーを

「今」扱うこともできない。



「今」の自分に自信がないから

過去生にすがって
自信や気づきを得ようとしても

それは
「受け入れる」器ではない。


何にもならない
慰めはいらない。







素晴らしかった部分に
スポットライトを当てられると

同時に寂しさがあったのです。


小さい頃からずっと。



のたれ死んだ人
どうしようもない娼婦
怪しい貧乏人たちが

なぜ
天照大神と対等じゃないの?


推古天皇はすごくて
犬死にした祖先は、いないことにするの?

守護霊ではないの?


それが納得できなかったんだよね。
ずっと。



自分の過去の生き方
死に様は細胞に存在していて

そこから
学ぶことは、とても多い。




私はきっと

飢え死んだし
盗んだし
娼婦だったし
自分の意思を持たない奴隷だった。


それによって
納得のいくことがたくさんあるし

違う道を今世で試すことが
「供養」になると知っている。





施術もそう。

体に手を触れると
いろんなことがみえてくる。


わたしは
何度も何度も
走馬灯をみている。



その度に

人の人生というのは

のたれ死のうが
崇められようが

どれも愛おしいと感じるし


何の変哲もない
日常の一場面が

今世の「あなた」になっていたりする。


しょうもない人生が
わたしの中にある幸せ。



それによって、
生かされている「今」

その過去があったから、
与えられている「自由」


愛おしさしかない。



野垂れ死ぬことも
一生懸命さなのだ。



施術中は走馬灯の中にいて
情報が多すぎるので

(カラダの流れが悪いひとは
なかなかここまで辿り着かないけど。)


その時に必要なことを
抽出してお伝えはしているけど

最近は


「あなたは過去生で、のたれ死にましたね。」

「どうしようもない貧乏人ですね」

「だから「今のあなた」なんですね」


素直にこう伝えた方が
全てが解決するような気がしてならない。笑


すんごい嫌われそう!笑



でも、そこには
ものすごい価値と希望が
あるんだよ。



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