さきこさんの記事を読んで、靖国神社に行ってみたくなりました♡

行ってみよう♡


そしてさきこさんの記事を読んで、おじいちゃんが言ってたことを思い出した。


そう、確かに私は、私たちは
先人から「頼まれて」いました。

いい日本にしてくれ、と。

幸せに生きてくれ、と。
母方の祖父は、海軍に所属していて
サイパンで捕虜になりました。

ガンが転移し、もう長くない、とモルヒネを打たれて意識が朦朧としていた最期の1週間

じいちゃんは戦争時代に言っていたであろう言葉や軍歌を、

大きくてはっきりした声でずっと喋ってたり歌ったりしていました。


大日本帝国、海軍の〜〜

我が人生に悔いなし!

というようなこと。


おじいちゃんは、自決して行く仲間がいる中、自分と数名の仲間たちだけが捕虜になってしまったことをずっと後悔していて、いつもそのことを話していた。

おじいちゃんが捕虜になってくれたからこそ、私は今ここに存在出来ているけれど

仲間のことを思ってすごく悲しそうなおじいちゃんの目を見ると、「それでよかったんだよ」とは言えなかった。


でもその意思は引き継ぎたい、と心のどこかで思った。


それは、戦争がどうこう、という思想ではなく

仲間を思う心。
家族を思う心。
日本を思う心。

その心を持っていたいと思った。


だからなのか、グアムとサイパンに行くたびに、おじいちゃんの仲間のお墓まいりに行っている気分。

「孫が来たよ〜♡」って。

悲しみで少し暗くなっているサイパンのバンザイクリフが、
「おー貞夫の孫かー!よく来たなー!」と明るくなるような気がするんだ。

おじいちゃんの仲間たちが、バンザイ!と言いながらこの崖から自決していった、バンザイクリフ。


父方の祖母は陸軍で満州に言っていました。

それなりに壮絶な体験はしたようですが

私が覚えているのは

「韓国と中国の女は、付き合ってる時は楽しいが別れる時はホント大変w」という話(笑)

特に韓国人の女性は、なかなか大変だった!

と…

(たぶん韓国の人が、というよりおじいちゃんが付き合った人が、だと思うけどな…w)

そんなおじいちゃんは、生涯彼女が途切れることのなかったプレイボーイ(笑)


でも、人を殺めた記憶を後世に話さず、色恋沙汰の笑い話に変えるのもまた、

戦争の見つめ方の1つなのかもしれない、と今は思います。


そんなおじいちゃんの、私への最期の言葉は

「人生、楽しく、な」

でした。

おじいちゃん、若い時、本当にかっこよくて!!
本当に↑クリント・イースドウッドみたいだった。

なぜ小田切家、誰一人として祖父の血を引いていないのかが謎。。!全員平たい顔!



私も昔、さきこさんが書いてるみたいに、

「戦争を忘れない。あの悲劇を忘れない」という風潮が苦しかったです。

確かに絶対繰り返したらいけない、という気持ちはわかるけれど

悲劇一色になるのは、違う気がしていた。


特にドラマや映画で、死んでしまったり、特攻に行く別れ際に、わんわん泣くシーンがあるけれど

母方のおじいちゃんが

「あんなに泣くのはみっともない」
「あんなに人前で泣くことはない」
「もっと淡々としていた。」
「あの時は誇りだったんだ。泣かれても困る」

って言っていて

もうその時点で、「ちゃんと伝わってないじゃん」と思ってた。


本当に戦争を体験した人の言葉、じゃなく

それをどうドラマチックにするか、に変わってしまっている気がした。


悲しみや惨劇にばかりフォーカスして、それを作り込んでいかに泣かせるか、を楽しんでいるように思えた。



おじいちゃんの言葉の方が本物だ、と思っていたから、

夏休みの読書感想文か小論文か何かで
「戦争は、あの時はあれで最善だった」みたいなこと書いたら

先生に不謹慎って言われた。



でも私は、体験したこともないのに、
悲しがってかわいそうがって、

特攻隊の人たちのことを犬死だとか、あんな死に方はしちゃいけない、というような人たちの方が、不謹慎だと思った。

(先生には言わなかったけど。そして感想文書き直しさせられたのが悲しくて辛かった…)




そしてアメリカに留学してた時。

高校の歴史の授業で、アメリカの教科書に、原爆や終戦記念日のことはサラリとしか書いていなかった。

たった一行。


それよりも、真珠湾攻撃(日本からの奇襲)の方がボリュームが多い。


それに対して日本は

真珠湾攻撃のことよりも、原爆と終戦のページが多い。


実際私も、真珠湾攻撃のことよりも、やっぱり原爆と終戦の方を、よく知っている。



しかもその授業のテストでは

真珠湾攻撃についての問題はたくさんあるのに、原爆のことは1問だけ。


その時思った。


「通りでw」と。


人間関係も国際関係も

「自分が何をしたか、ではなく
相手に何をやられたか、を重視する」姿勢は

いつまで経っても戦いが終わらないんだな、と。


それが、外側の戦いで、延々と続くんだと思う。



自分(内側)ではなく、外に刃向かう。


その、自分の行為を棚上げする姿勢に、さらに怒りが湧く。

そして新たに怒りが生まれる。

本質からどんどん遠のく。
終わらない!



私もずっと、この世を平和にすることが自分の使命なような気がして

大学は国際関係学部にいったのだけど(笑)


いつしか、

この戦いは終わらないんだ。

私たちは、この世に巻き込まれて生きてくしかないんだ。

と絶望した時がありました。



でも今は、心の底から

世界平和はまず、自分の内側から創造するもの

と言える。


まずは、「個」から。


じゃないと、どんどん外側に戦いを挑んで、

誰かの、国のせいにして

平和が欲しいのに戦う、という本末転倒なことになる。

仲間が、バッサバッサ倒れていく。

憎しみが終わらない。

それはとても疲れるし、本当の望みを叶えない努力。


だから今日も、この時代、ずっとこれからも

この命と体の内側から

まずは私が、幸せで平和であろう。



改めて、今日
「令和」という元号をみて

「そうあろう」と決め直しました。



私のその姿をきっと、二人のおじいちゃんとその仲間たちは

誇りに思ってくれるんじゃないかな♡



私は女である。

日本人である。

私である♡


もうこの喜びの中で、ずっといきて行こう♡