コットンがお引越ししてから、2週間が経ちました。先週は毎日泣いてしまって、コットンのいない生活を、時間をどう過ごしていいのか理屈ではなくわからなくて、気が付くと翌朝になっていました。でも今週は涙は流さずに過ごせています。さみしさは消えることはないし、きっとまだ悲しみはやってきてしまうと思うけれど、でもコッちゃんのことを笑顔で話せる時間が少しずつ増えていって、いつか悲しみは消えてくれる、そう思います。
コッちゃんの頑張り、お話ししたいと思います。やっぱり辛い内容だけれど、でもコッちゃんが最期まで頑張った記録、ちゃんと残さないと。とても長いです。
コッちゃんとのお別れは私にとっても突然でした。年を越すのは難しいだろうと覚悟は決めていたけれど、でも夏は越せる、そう信じていました。なぜならあれだけ高かったBUNもほぼ正常値まで下がり、肝臓の数値は上がったりしていたけれど、咳もせず、普通にしているときは息も落ち着いていて、ご飯もそれなりに食べていたから。
最後の週、日曜日の夜からいわゆる徘徊のようなことが毎晩1~2回ありました。でも痴呆症状が出始めていたので、その延長だと思い特に気には留めませんでした。火曜日の帰宅後くらいから、抱っこをして少しするとちょっと嫌な声を出し、下ろして、とパタパタするようになり、なんだろう?と思ったけれど、前よりも体の自由を奪われることを嫌がるようになっていたので、これもシニアならではの行動が占めることだろう、土曜日の通院で院長に話してみよう、そう思っていました。ご飯はちょっと食べない時もあったけれど、週を通して食べたほうでした。夜寝る前のボーロも欠かさず。お引越しした前日においては、朝も夜も良く食べました。
でも少し違ったこと。それはなかなか寝付けなかったこと。最近は大抵遅くても23時ごろには取りあえず寝ていたけれど、木曜の夜は横になってもすぐに立ち上がりうろうろ。
この写真、木曜の深夜00:50頃のコッちゃんです。正確には金曜日ですね。マットレスの上をうろうろしているコッちゃんのお顔を撮影しようとしたらぶれてしまいました。
この後、30分ほどしてやっと眠りにつきました。この夜はマットレスではなくベッドで。
01:23のコッちゃん。これが最後の写真となりました。
この夜は起きることなく、朝6:30頃まで寝ていました。起きてもちょっと元気がなく、うろうろ。寝起きはいつも食欲もないので様子見。トリミングには家を9時に出れば間に合うので、お薬もゆっくりでいいや、と好きなようにさせていました。この週はカスタードクリームでお薬を飲んでいたので、途中、口元にカスタードクリームを近づけましたが興味なし。まあいいね、らりっちょさんのところで再チャレンジしよう。
元気のなさはちょっと気になったので、もしものためにらりっちょさんのサロンから病院に行けるよう、準備はしました。さて、行こうか、と準備を始めると、コッちゃんは廊下に歩いて行って、いつものあたりにうんPをしました。ちょっぴりだけ柔らかめだけど、しっかりしたうんP。よしよし、すっきりしたね。抱っこは少しでも楽なように、バッグに入れるときもブランケットで包みました。でもすぐに嫌な声。なんでもないといいけれど。ただのわがままだといいなぁ。そんなことを思いながらタクシーに乗り、らりっちょさんのサロンへ。10:20ごろかな、到着しました。
その週の状況の話をしながら、できる範囲できれいにしようね、と。少ししてバッグからコットンを出すと、例の声。これはシニアらしい、イヤイヤの主張っぽいね、そんな話をしていました。テクテク歩き、おしっこ。少し横になった後、そうだ、もう11時過ぎてるし、お薬飲もう、コッちゃん。抱っこしました。いつものように、床に座った私の両脚に、仰向けに抱っこをし、口を固定して薬を喉へ。少し舌も白いね、でも元々貧血気味だからね。すごい寝起きの顔だ~。まだちょっと寝ぼけてるときのほうがお薬飲ませやすいの。そんな、なんでもない、いつものように薬をコッちゃんの喉に入れました。いろんなお薬は3つのカプセルに詰めていました。1つ目が入って、2つ目を入れたとき、イヤって戻したので、飲んで~、ともう一度入れて、その勢いで3つ目。
その時でした。コッちゃんがグダッとなりました。すぐにおかしいと分かり、らりっちょさんが薬を吐かせようとしてくれました。2つは出てきたかな。わかりません。病院に電話するけれど説明できない。らりっちょさんに代わってもらい、すぐに来るように、との指示。今度はタクシーを呼ぼうとするけれど、スマホを操作できない。何をしても動かない。私は完全にパニックに陥っていました。らりっちょさんがタクシーの手配をしてくれている間、コットンを抱っこする私は何もできず、ただただコッちゃんを呼び続けていました。でももう反応がない。もう呼吸していない。11:30頃のことでした。20分弱の出来事でした。
動かないコッちゃん。今朝まで、さっきまで生きていたのに、私のせいで。
らりっちょさんが病院へ電話をしてくれて、もうお昼休みに入っていましたが、コッちゃんを最期に診てくださるということで、病院へ向かいました。院長はじめ、看護士さんたちがコッちゃんを待っていてくださって、診察室へ。やはり心臓は止まっていました。エコーをあてると、肺に水があるのがわかりました。確認のため、レントゲンを撮ると、スペースが全くないほど、水が溜まっていたことがわかりました。ガン性胸水。ガンが原因で起きるものだそうです。このせいで、何も喉を通らなかったそうです。前日までご飯を食べていたことを伝えると、本当に急に溜まってしまったんでしょう、通常この量の水だと食べたくても食べられないはずですから。もしも水を抜いたとしても、ガン性胸水は翌日にはすぐにまた溜まってしまい、苦しむことになっていたそうです。これがコットンちゃんの限界だったのではと思います、と院長がおっしゃいました。何度も復活して、本当によく頑張ったね、おつかれさま、と何回も優しく撫でてくださいました。
考えてみれば、コットンは常に病気と闘っていました。乳腺腫瘍、皮膚、脳からくる発作、腎臓、肺へのがん転移、白血球の上昇、肝炎...。
たくさんの病気と闘い、そのたびに乗り越えてきたコットン。小さな体で本当によく頑張ってくれました。
そんながんばり屋さんのコッちゃんの命を、私が奪ってしまった。何を見逃してしまったんだろう。なんで薬なんてあげたんだろう。なんで気がついてあげられなかったんだろう。後悔してもしきれない思い。誰が何を言ってくれても、罪悪感から抜け出せませんでした。
ガン性胸水は一度起きると予後はかなり辛いそうです。溜まる水とそれを抜くのとの繰り返し。これまでたくさん頑張ってきたコットンにそれ以上の苦しみは酷だったと思うし、もしも苦しいだけの数日だったのなら、前日までご飯やボーロを食べられてよかったね、と言ってあげたい。きっと、薬をあの日飲んでいなくても、きっとあの日がコッちゃんのお引越しだったんだ、そう思えるように少し、なれました。でもそうならお薬飲みたくなかったよね、コッちゃん。ごめんね。
毎日お留守番の我が家。コッちゃんは私が有休を取っていた金曜日を選んでくれました。そして泣き虫の私が一人だと絶対にパニックになると知っていたのでしょう、ちゃんと大好きならりっちょさんも一緒にいるときを選んでくれました。それでもパニックだった私ですが、最期は私の腕の中で眠りにつきました。「あー、やっぱりパニクったわ~。一人にしとかなくてよかったわ~」、そんなこと、コッちゃん思ってたかも。私は介護も通院もいくらでもする気満々でしたが、これまたきっと「ワタシ苦しいの嫌だし、そんなワタシ見てママ泣いちゃうだろうし会社休んじゃうだろうし~」と、あんなに可愛いお顔しながら男前な潔すぎるお引越しでした。
コッちゃん、コッちゃんはこの2年の間、私にたくさんのことを教えてくれ、与えてくれたね。私はコッちゃんからもらってばかり。コッちゃんが命を張って教えてくれたこと、絶対に無駄にはしないからね。コッちゃん、ありがとう。
コッちゃん、写真の中のあなたを初めて見たその時から私はずっとずっとあなたを愛してた。これからもずっとずっと愛してる。重いママでしょ?そう、重いのよ。でもしょうがない、だって大好きなんだから。
コッちゃん会いたいよ、と毎日言っていたら、コッちゃんがやってきてくれました。
そっくりでしょう?このキョトンとしたマジメな表情といい、お口の感じといい、コッちゃんそのものです。
しっぽもよくコッちゃんらしさが出てる!
かるころさん、ありがとうございます!トピアリー・コッちゃん、大事にします☆
ブログには使わなった写真や動画など、まだまだ可愛いコッちゃんがいます。たまにお披露目すると思うので、一緒に可愛いコッちゃんを見て、笑顔になってくださいね。
皆さんのあらゆる形のサポート、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、コッちゃん目一杯、生きることができました。心から感謝しています。