「託す」度量 | コトダマ

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小学校の高学年の児童に赤ちゃんと接する機会を設け、
人間関係力を養うという「赤ちゃん登校日」という取り組みに
ご縁があって、うちの妻と子供が昨日いってきたようです

いろいろな人と触れあう機会の少ない現代に、
こういった取り組みというのは悪くないと思います。

ただ、当の妻の評価はイマイチでした。

段取りがマニュアル化されていて、
子供たちの自由度が小さく、
シナリオ通りの進行に違和感があったようです。

かといって、私としてはそれを否定することも
やはりしてはいけないと思いました。
教育のことにしても、政治のことにしても、
モノを言い過ぎる風潮が強くなり過ぎていることが、
逆に自分たちの首をしめる結果を誘引している気がするからです。

学校の先生にしても、政治家にしても、
もっと自由な環境に置かれていた方が、
社会のシステムはうまく機能するのではないかと。

今は情報化社会で、何事も透明性を求められますので
現実的には難しいのかもしれません。

ただ、そういった、本来は権威のある方々に、
自分たちの子供や、生活を「託す」という度量がなくなったが故に、
減点されたくない先生や政治家が増えてしまい、
マニュアル的なことしか言わなかったり、
理想論ばかりを語ったり、
キレイごとを並べたてたりして、
表面的な、上っ面だらけの社会へと進んでいるように思うわけです。

先生も政治家も一人の人間ですから、
失敗することもあれば、失言することもあれば、
間違っていそうな方向性を進むこともあるでしょう。

すべてを看過すればいい、ということではありませんし、
すべてお任せすればいい、ということでもありませんが、
私たちもできる限り「託す」という度量や、
ある程度、見て見ぬふりをする、という度量を持つようにすれば、
自然と、いい方向に向かって行くような気がします。

想像してみてください。
家でちょいと不謹慎なことを言ったり、
お父さんらしからぬ行動をした途端に、
家から出て行くように言われるような家だったとしたら、
とてもじゃないですが、帰りたくないでしょ。
息苦しくて仕方ないでしょ。
そんな家庭でまともな子が育たないでしょ。

ということだと思います。