やさしくコトコト10分ほど火を通して・・・おでんにまあるい「おとうふ揚げ」。
ポーチやカードケースをコラボでつくってもらった、nuno心さんとふでにんじんさん。わたしがかなりヘビーにポーチを使わせてもらっているので、いつも会うたびに状態を気にしてくれていて、絵が薄くなったら書きなおすよ、などなど声をかけてくれます。
丁寧に作品を作成してくれているのも知っているし、そのあとのことも気にかけてくれていて、つくり手さんの作品に対する心がつたわってきて、とても素敵だと思っています。
わたしの野菜なんぞと比較して申し訳ないのだけど、わたしも生産者として、出荷した野菜の状態がとても気になります。かたちは違えど、つくり手として(生意気ですが)、一方的に共感させてもらっている部分もあります。
たくさんのバックや野菜があるけれどやっぱり理屈だけではないなにかが込められていて・・・。
今日はつくり手が作品にこめた想いのようなものについて考えたことを、記事にさせてもらいました。
わたしの周囲にも、その美味しさに感動されている人がたくさんいますが、宮城県の高橋徳治商店の「おとうふ揚げ」。
6年前に名古屋生活クラブ主催のイベントに高橋さんがみえられたのですが、わたしはその時まん中の子の出産のため実家に帰省しており、残念ながらお会いすることができませんでした。
添加物かとてつもなくたくさん使われている、練り物。
震災の前から高橋さんは原料などにはとても配慮されていて、なんと工場の洗浄にも石けんなど海に負担をかけないものをつかわれていたそうです。練り物は海からの恵みをうけるお仕事ということででしょうか・・・。
そしてその4年後、3.11の津波によって、石巻の高橋さんの工場が壊滅的な被害を受けられ、従業員の方を全員解雇せざるを得ない状況になりました・・・。
いつも生クは会員に対して東北の生産者の方の現状を伝えてくれていたし、津波の映像を見て、わたしもやっぱりすぐ高橋さんやシマカさんが大丈夫かどうかとても心配していました。
石巻市は報道でも伝えられていたように、被害が特に大きかった地域でした。
高橋さんの工場も、ガレキやヘドロが800坪の敷地内に20cmの高さにびっしり敷き詰められていたそうです。そして、ヘドロの量は50トンにも及んだそうです。
数カ月はヘドロのかき出しで泥まみれの生活を余儀なくされたそうです。電気もなくガレキの町でずたずたの工場。
なぜ、再開の見込みなど持てぬ状況で、こうして片づけているのだろうと高橋さんは自問しながらの日々だったそうです。
そして、そのうちに救助にきてくれる人がたくさん来て下さったそうです。
どうしてそんなに優しいの?家族でもないのに?なぜ来るの?
みなさんが集まってくださったことにもなぜ?と毎日自問されていたそうです。
その中には、生クの伊澤さんやスタッフの方もいました。
現地に行けることはなかったけれど、わたしたちも高橋さんはじめ、生産者の方々のことは祈るような気持ちで考えていたと思います。
いつも写真で見るあんなに威風堂々と明るい高橋社長が、鬱、もう楽になりたいと、自分の命を絶つことまで頭をかすめたと言われて、そのご苦労が想像を超えるものだったことを知りました。
そして2011年10月、たった1ラインですが奇跡的に工場を再開できることになりました。社員の方も戻ってこられて・・・。
生クは工場が再開したときの「火入れ式」の模様も伝えてくれていました。
本来は「火入れ式」などというものがないのだけど、高橋さんが考え、工場の再開、復興に向けてに式をとりおこなわれたそうです。「式」という形で表現されたことで、高橋さんたちの思い入れが特別のものであったことをうかがい知ることができたように思いました。
わたしだけではないかと思いますが、被害が神も仏もないのかなと思えるほどのものだっただけに、絶望的に思えた工場再開が実現するなんてミラクルだと感動しました。
でもこの現実はきっと、現場のみなさんの心にあったものが本当に事となって実現しているものだと思い、自分が心に強く思ったことはやっぱり本当になるなぁとも感じました。
そしてできたのが、「おとうふ揚げ」です。
おとうふ揚げは、信じられないくらい試作を重ねられてつくられていました。
材料はもちろん、温度、時間、すべてを高橋さんがイメージ(設計)した味にもっていくため、条件を変え、何度もつくり・・・そういう日々を積み上げられたそうです。
その時点でも十分美味しかったと思うのだけど、最後の最後に、味に納得いかない部分があって、1000キロを廃棄する決断をされた高橋さん。
実際は廃棄はせず、商品として市場にのせずボランティアの方に食べていただいたそうなのだけど、社員の方の反対、あの震災後の経営的にもものすごく大変な状況がある中、それを決断する高橋さんの凄さを感じました。
(わたしなんかと比較して本当に恐縮ですが、子どもたちはわたしがせっかく編みあげたものを、やっぱり気になる・・・と言いつつダダダ・・・・・・と全部ほどくのを見て、しょっちゅう「やめて!せっかく編んだのにもったいない!」と言ってきます)
そしてさらなる試作の日々のあと、ついにあの「おとうふ揚げ」が完成しました。
再開した工場でつくられた「おとうふ揚げ」も、その後名古屋生活クラブにて高橋さんからのメッセージとともに販売されました。
メッセージの中に、「震災の同情とかじゃなくて、本当に美味しいものをつくったので、買ってもらえたらうれしい」というような言葉があって、高橋徳治商店の高い心意気のようなものを感じました。
美味しい食べ方をうかがうと、「おとうふ揚げがよろこぶ温度で・・・旦那をいじめるみたいにグラグラやっちゃいけないよ!」ということも高橋さんは言われました。
わたしは生でそのままも最高だと思うし、おでんにしたらしたで、やっぱりこれも最高だと思います。高橋さんは、鰹出汁で火を通して、醤油で味をつけ、葛や片栗であんにして、千切り生姜をのせるレシピを教えてくれました。・・・料亭のようで、美味しそう・・・!
最後に高橋さんが言われたことふたつ、ともて心に残りました。
ひとつは、厳密に言葉が同じではないのだけど、「練り物をつくっている人ならたくさんいる。だけどそういうこと(心や背景かな・・・)も伝える練り物をつくりたい」というようなことを言われました。
わたしもおとうふ揚げを口にしたとき、思わず頭にびっくりマークがついて「!」←こんな感じ、急いでパッケージのメッセージを読みました。
感動の美味しさ、「おとうふ揚げ」。写真をクリックすると文字が読めます。
なぜあんなにおとうふ揚げは美味しいの!?って思っていましたが理由が少しわかった気がしました。
もうひとつは、高橋さんがよく使われる「マディに」という言葉。
海外の言葉かなと思っていたけれど、東北の方言だそうで、漢字にすると「真手に」というそうです。
字を書いている子どもに、「までぃに書けよ~」と言ったり、しっかり育てられた子に対して「この子はまでぃに育てられた子だから・・・」みたいに使われるそうです。
すごくいい言葉で、これまた印象的でした。
・・・手抜きすることもいっぱいありますが、自分なりにまでぃに野菜をつくったり、子どもを育てたり、心をつくしているところもやっぱり少しはあって、それは本当にかけがえのないものかもしれないなって思いました。
つたないながらも、ひとりのつくり手として、手を使って心を尽くしてなにかをつくっていく。この手しごとに対するわたしの考えが、またひとつ、確かなものになりました。
ありがとうございました!