仕事の現場は盛岡だけど、今回は盛岡シリーズとは書かない。

なぜなら、念願だった平泉・中尊寺に立ち寄ったので。

 

スケジュールと行程を綿密に計画した。

いかに効率的に動くかを考えるのはたまらなく楽しいw

 

甲府8:17発、平泉着12:53

鉄道ってすばらしい。日本も狭くなったものだ。(いつの時代と比較?)

朝出て昼過ぎには着けるなんて。

 

時間効率を考えて昼は新幹線の中で。

東京駅地下で買った豆狸(まめだ)のいなり寿司。(大阪発祥らしいw)

行列ができてたけど、それも納得。

仙台過ぎてから一気に食ったけど、うまかった。

 

 

 

一ノ関で新幹線を降りて、東北本線で平泉へ。

いい天気。よかった。

 

電動チャリ4時間900円。

ホントこれ最高。

 

まずは、高館義経堂。

義経最期の地。

 

 

義経はここから見る絶景に惚れたという。

後年ここを訪れた松尾芭蕉が詠んだ名句「夏草や兵どもが夢の跡」の碑がある。

 

続いて、中尊寺エリアへ。

最初の坂がかなりきつい。

ここには30年ほど前に来たことがあるはずなんだけど、まったく憶えていない。

 

坂を昇りきったあたりに、弁慶堂がある。

義経と言えば弁慶とこなくっちゃ。

この2つの御朱印を見開きに収めたい。

ローテーション的に難しかったが、書置きのため後でなんとかできた。

 

これは感慨深い。

オトタチバナヒメとヤマトタケルのページと同じくらい。

 

ちなみにこの写真を撮った東北本線でおそらく小銭入れを落としたと思われる。

まぁそれも備忘としてここに残しておこう。

 

続いて中尊寺本堂へ。

どかーん。

さすがに立派。

しかしよくこんなとこに・・と思うけど、電車もなにもない時代だったら条件は同じ。

金が獲れる土地だったことで、相当繫栄したらしい。

 

奥州藤原氏がホントにこの地で100年も栄えたという、形のある証拠。

 

ここは内部も撮影可だったので。

 

そして、本堂よりも有名な中尊寺金色堂へ。

こうやってみると地味だけど、それはこの建物がそれではないから。

この建物は、金色堂をガードするために建てられたもので、当時は中の堂がむき出しに建っていたという。

 

内部は撮影禁止のため、HPより。

建物自体が金でできていて、南洋から飾りの夜光貝を仕入れて装飾を施している。

どれだけの費用と労力を尽くして建てたのか。

想像もできない。

 

奥州藤原氏4代(清衡、基衡、秀衡、泰衡)のミイラが、この仏像の下に眠っている。

そんな技術は当時の日本にはなかったが、この平泉だけは京を通さず大陸との取引があったため、ミイラとして後世に残す手段を中国から学んでいたらしい。

 

極楽浄土をこの世にも。

初代清衡公によって建てられたこの金色堂が、900年経った今のこの世の中にもそのことを伝える。そしてそこに自らも眠る。

すげえことやったよなぁ・・。

 

その奥の松尾芭蕉像。

奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)

松尾芭蕉「奥の細道」の旅。江戸を発ってから44日後にこの高館義経堂と中尊寺に。

 

五月雨の 降り残してや 光堂

 

本当にそんな日があったと想像するとその場所にいることに感動を覚える。

こうやって歴史というのは伝えられていくのだろうと。

 

しばらくここで佇んでいた。

一番奥にある白山神社にも参拝し、中尊寺エリアをあとに。

 

ここに来た証としてなんか欲しいと思い、手拭いを購入。

 

続いて、チャリで毛越寺へ。

ものの数分で到着した。さすが電動アシスト。楽々。

 

 

毛越寺(もうつうじ)

2代基衡が、これも浄土を表す庭園を造る。

この写真はHPよりお借りしたもの。

池をゆっくり一周。

  

その池に水を届ける川。

ここはほぼ観光客はいなかったが、外国人のご夫婦が1組。

数ある日本の観光地の中でここに来るってセンスいいね。

 

ここでも記念に何か欲しいということで・・

 

俳聖かるたを購入。1000円。

こういうの、意外とうちの姫が喜んだりする。

御朱印も頂いた。

 

時間は15:50。

約3時間、平泉を堪能した。

あわよくば岩にめり込む寺院、達谷窟毘沙門堂と厳美渓にも行けたらとも考えてはいたが、中尊寺と毛越寺で時間いっぱいだった。

今度来る機会があったら、ぜひそちらにも行きたい。

逆側には猊鼻渓もある。これ全部は車じゃないと無理かな。

 

16:25 東北本線盛岡行きに乗車

途中、水沢の駅を通過する時、たしかここには一度降り立ったことあるんだよなぁと。

その時会った得意先の方は若くして亡くなられてしまった。

新人だった頃、すごくよくしてくれた方だったので今でも水沢というとその方を思い出す。

 

北上で新幹線に乗り換え、盛岡へ到着。

30年前とは駅の構造も変わったが、駅ビルのフェザンからメトロポリタン盛岡までの導線は変わっていない。

 

もうすでに足は棒だったが、せっかく盛岡に来たのだからと散歩に出た。

開運橋からの眺めは何度見てもいい。

 

 

夕飯は白龍(パイロン)のじゃじゃ麺と決めていた。

盛岡三大麺といわれる一つ。

めちゃくちゃうまいかと言われればそこまでではないけど、盛岡に来るたびに食べたくなる不思議な存在。

 

櫻山神社の本店まで歩こうかとも思ったが、なんと駅構内に出店していた。

これは体力と時間効率的に助かった。趣込みだと本店なんだけどね。

 

このあと、同僚と飲んで現実に戻る。

そんな1日目。