取ったホテルは熊本中心部ではなく、水前寺公園エリア。

ここは一度訪れてみたかった日本庭園と神社がある。

 

前日、ホテルにチェックインしてからちょっと歩き回ってみた。

が、公園の入り口がさっぱりわからない。

入場料のいる公園だから、どこからでも入れる造りになってるはずはなく、どこかにゲートがあるはず。だけど案内が全然ない。

 

こればっかりはグーグル先生の地図ではわからない。

HPで調べても、入り口がどこなのかは当たり前すぎてなのか、出てこない。

公園の敷地内にあるのかどうかも定かじゃなかった出水神社、ここを目指してみようと思って歩いていくと、そこに正門があった。

 

ただ、もう時間で閉まっていた。

まぁそれはしょうがない。この時点で18:00くらいだったし。

 

ハラへった。

なんか食べようと調べるも、いまいちこれという店がない。

ここいいじゃんと思って向かった店は、しばらくやってない感じだった。

もうなんでもいいや。

 

各地にあるこのチェーン。

さすがに地名を名乗るだけあって、その土地の名物の何品かはあるだろう。

と思ったけど・・

 

一品もねぇでやんの。

 

翌朝。

ちょっと早起きして朝飯。

熊本での動きはある程度シミュレーションしていた。

 

が、雨・・。

これは計算外だった。

まずはチェックアウトして荷物を車に置き、水前寺公園へ。

ホテルで傘を借りれたのは助かった。

 

水前寺公園の入り口。まんま出水神社の鳥居がある。

出水神社は公園内にあるため、400円払って中に入らないと参拝できない。

 

 

 

広くはないけど、それは見事な日本庭園だった。

1周歩いても30分くらい。

 

 

出水神社参拝。

御朱印の絵は細川ガラシャのシルエット。

明智光秀の娘で、キリスト教に目覚め、その弾圧に苦しみ最期を遂げた。

 

雨は降ったりやんだり。

ここまでは傘があったのでよかったが。

 

続いて健軍神社へ向かう。

車で来ていなければこの細かい動きはできない。

 

神社に参拝する時はその祭神や背景を調べるが、この健軍神社は神話でも戦国武将でも学問でもなく、正直よくわからなかった。

阿蘇との関連が深いらしく、参道が恐ろしく長いという事だけはわかった。

 

 立派な楼門。

 拝殿。

 御朱印。この文字好きだなぁ・・。

 

あと、これまで240社を超える神社を参拝してきたが、初めてのことがあった。

拝殿で2礼2拍手1礼をしている間、そこにいる神職の方が、鈴を鳴らしながらおおぬさ(棒に白い紙がついたお払いの時に使う道具)を頭の上で振ってくれる。

これは初めての体験だった。

しばらく見ていたが、参拝客全員にやっていた。

 

続きまして。

街中に近づき、別所琴平神社へ。

  

祭神は大物主命。

すごくたくさんの御朱印というかイラストが用意されていたけど、普通のにした。

あまり派手なのは好まないタチなので。

 

さらに街の中心部にある、山崎菅原神社。

 

小さな神社ではあるが、戦乱、天災のたびに場所を変え現在ここに鎮座するという。

もちろん祭神は菅原道真公。

 

続いてはメインとなる熊本城へ。

もうすぐ近く。

 

熊本に来たのは、あの8年前の地震の数日後以来。

その時には見舞いの品を持って、何軒かの家々を回った。

えがお健康スタジアムにも、実はその時に来ていた。

 

その時の熊本城は、もちろん入れず。

外から見ただけだったが、これは再起不能なんじゃないかという崩落ぶりだった。

 

あれから8年。

どうなっているだろうか。

それは楽しみでもあり、ドキドキもあった。

 

ナビに従い、二の丸の駐車場に入れる。

本来、ここからすぐの北口から入城できるはずだったらしい。

だけども修復工事で北口は使えず。

それならまずは城に行く前に加藤神社へ参拝する方が効率的だった。

 

加藤神社。

祭神は加藤清正公。

真田丸での清正のイメージは血の気が多く、喧嘩っ早い武将。

秀吉への忠義に厚く、朝鮮出兵などでも活躍し、戦いを主としたイメージだった。

 

しかし、熊本に来る前に色々調べたところ、それだけではないらしい。

熊本城築城(というか大幅な改修)、治水工事、街づくり、領民への愛情。

藩主として素晴らしいリーダーだったという。

のちに加藤家が熊本城を追われ、細川家が継いでも尊敬された、熊本のヒーロー。

熊本城に隣接する形で立派な神社が建立されていることも、その証明といえる。

 

 

ここから見える熊本城天守閣は、もしかしたら一番の迫力かもしれない。

この看板を入れるために引きで撮っているが、ここに立ってみると迫力ある。

また、御朱印の文字がなんとも力強い。

加藤神社は、これから令和の大造営を計画しているという。

なんともこの雰囲気や加藤清正公のエピソードに惚れ、次の御朱印帳はこの加藤神社の御朱印帳にすることに決めた。

(実は参拝後一度後にしているが、熊本城見学後に思い立ち、戻って購入した)

 

表面には熊本城と加藤神社のデザイン。

裏面は清正公の虎狩りの場面。

 

さて熊本城。

修復工事のため、導線は後から作られた橋を延々と歩くことに。

行く前にまずは腹ごしらえだ。

雨も強くなってきて、傘もないし。

値は張るが、ここで妥協はしたくない。

肥後牛を贅沢に使った御膳。3000円くらいしたけどさすがに旨かった。

 

どかーん。

以前来た時はもちろんこの場所まで来れてはいないため、どれくらい修復したのかはわからないけど、おそらくは絶望的な所からここまで回復したのだと思う。

 

城の内部は例によって資料館になっていて、ますます加藤清正ファンになる流れができている。そのまま天守閣まで登ると、圧巻の眺めだった。

 

熊本城の造りは相当考えて作られており、敵が侵入しようとするとまっすぐ進めない。

90度の曲がり角が多く、減速した所で石落としや鉄砲が上から狙う。

他の城も大体そうはなっているのだが、その距離と角の数が段違いに多い。

 

あと、マジで広い。

川の流れも変えたという事で、こここそ難攻不落の城と言える。

西南戦争の最後は籠城戦になったが、最後まで薩摩藩はここを落とせなかった。

戊辰戦争の会津若松の鶴ヶ城は落とされ、時系列的にはその後の事だけれど。

 

 

よく見ると、まだまだ崩落個所はたくさんある。

これを完璧に直すにはあとどれくらい時間がかかるのか・・。

 

さて一路北Qへ。

帰りは3時間の高速。

熊本—大牟田—八女—久留米—鳥栖—福岡—小倉。

この道を走るのにふさわしいBGMは・・

 

松田聖子でしょう!(笑)

たしか久留米出身だったはず。

 

Spotifyでイントロクイズ状態から一人カラオケに。

最っ高のチョイスだった・・。

全く眠くならずにアッという間に小倉まで走れた。

 

そんな盛りだくさんのひとり旅。

この写真がダイジェストだね(笑)

 

おまけ

小倉ではソウルフードと言われる資(すけ)さんうどんを。

 

普段丸亀製麺を食べている身としては、まったく違う面のやわらかさ。

これはこれでうまかったな・・。