こんにちは うぐいすです
先日何気に観ていた洋画で本筋にあまり関係しないような詩を
癌に侵された少女が表現していました
この頃気になっている「呼吸」に関する事だったので載せてみます
ただ息をする
誰しもいつか呼吸が止まる
一呼吸だけの人生なら息をするのはたやすい
生まれつきだから
呼吸を意識すらしない
いつから呼吸はそんな見過ごされる存在に
こんな言葉がある
息を整える
整えるのは見失うから
呼吸を見失わないで
明日が最後の日だと思って生きて
前回の話で 神様の欲しい物と表現したのは
人として生きる人生で 最も価値あるものは
縁によって起こる感情ではないかという想いからでした
エネルギーと言えばつかみどころの無いものだけど
日々の生活には欠かせないものだと誰もが知っています
人として暮らしている中で起こる出来事そのものには実体「エネルギー」は無く
その都度 縁に触れて出て来る感情こそがエネルギーであると
量子力学の分野では考えているようです
仏教では実体を明らかに見ると あらゆる物質は
時の移ろいによって変化し いずれは消滅するとの解釈から
仮のもの「仮諦(けたい)」としています
では実体といえば「中諦(ちゅうたい)」
量子力学では「エネルギー」
そして人が日常に産み出せる唯一のものが感情というエネルギー
難しいことは苦手な私がこの頃取り組んでいることは
瞑想というよりも 私を取り巻くエネルギーを
そのまま ありのままで産み出すというイメージをすること
エネルギーに敏感な私には この世に生きる全ての人の周りには
常にエネルギーが渦巻いているのが分かります
ただ 人に依ってエネルギーの大きさには個人差があって
日常から大きなエネルギーを受けて(産み出して)
いる人ほど
地球では生きにくい環境や肉体の影響を受けている
それが理解できれば 誰もがエネルギーに取り組むのでしょうけど
感情として感知されてしまうので それを起こしている出来事を
何とか解決しようと「思考」が紛れ込んで迷い道へと入ってしまう
思考が起これば その裏には必ずエネルギーが隠れています
思考に迷わされない方法は
何らかの感情が出てきた瞬間に間髪を入れず
「私からエネルギーを発信します」と言葉にして
あとはモヤモヤとした湯煙が身体から出ていくイメージをするだけ
仕事中など その場ですぐに対処できない時には
「このエネルギーとして掴みます」と宣言して握りこぶしで掴んで
ゆっくり出来る時間に 拳の中のエネルギーをイメージして
このエネルギーを産み出していくようにすれば対応できています
取り組み方としては シンプルな瞑想法が参考になると思いますので
下に参考記事として載せてみます
ひょっとして 神様は 私達が欲しがっている物には 興味は無いのではないか
性格をアイテムと考えると その性格が生み出す感情に関心があるのは確かです!
譬えば 悲しい時には 何かの事柄があって泣いたりする訳です
この悲しみには 思考とエネルギーがあって この二つを普通は一緒に感じています
仏教用語では 周りの環境の変化や事件などを「縁」と言う言葉で表現します
私達はこの「縁」に触れて 何らかの感情が起こってきます
この感情は 多分に性格によって 大きな違いがあるようです

