こんにちは 予定では今日から鞍馬山の紹介をしようと思っていたのですが
昨日の記事で 「辛い経験をドブに捨てないで 学びに変えて下さい」と書いてしまいました・・・
どう学べば良いのか?
また難しくなりそうです・・・
このテーマは 相談に来られた方には ある程度はエネルギーの動きで感じて貰えるのですが
文章にするとなると うまく説明できるのか自信がありません
でも このままで この話を打ち切ると中途半端な気がするので知恵を絞って書いてみますね
たぶん 理解不能な事が出て来ると思いますが その時は質問のメッセージを下さい
まず 初めに仮にあなたが自分の子供を躾(しつけ)の為に つい暴力を振るってしまい
弾みで怪我をさせてしまったと仮定してみましょう
直ぐに病院に連れて行って手当をしたので大事には至らなかったのですが この事件は
ご近所の奥さん達の評判になり 世間から酷い親とのレッテルを貼られてしまいます
勿論 本当は心優しいあなたは 子供に対しての後悔の念を強く感じています
それ以後 なんとなく子供もあなたを避けているようです
そして 世間からのあなたに向けられる非難の目
こうして あなたは 「 後悔」 と「孤独感」 そして「自信喪失」と言う三重苦を一度に
背負う事になってしまいます
当然のように 暫くはこの問題を思い起こしては悩み 反省します
そこから先は 個人の性格が大きく作用するので道は多岐に別れます
逆ギレして開き直る人
ずっと悩み続ける人
この失敗を良い経験として前向きに生きる人
この3パターンの中では 絶対前向きに生きる人が良いですよね
でも 私はもう一つエネルギーの視点からの考えを持っています
世間的には 評価される前向きに生きる人でさえ実は大事な見落としがあります
ちょっと話がそれるかも知れませんが 世間的に見て立派に生きている人の事例を・・・
実は 相談に来られる人の中で 「自分は正しくいきている」とか「良い人になりたい」なんて
考えている人の方が逆ギレで生きている人よりも 屈折したエネルギーを持っているのです
善人として生きたいと思っている人でも 内面には普通に悪い考えや否定的な感情を
持っています ただそれを表に出さないようにして 相手に配慮しているのです
個人的には この様な人は私も大好きです
それだけに 勿体無いと言うか・・・ 残念と言うか
善人になりたい人は 自分の中に当然有るはずの「悪意」を否定しているので
心の中から表面に出そうになった その瞬間に奥にしまい込みます
その「悪意」もエネルギーなので (負の財産)として蓄えられるのです
それも 自分でも気づかない一瞬にやってのけるので屈折したエネルギーとなり
本人は勿論の事 誰も全く気づかない内に蓄えられて行きます
私も子供の頃に覚えがありますが 近所でも評判の優しいおばあさんがいました
何時も 人に優しく 物腰が静かで 控えめな方でしたので「あんな人になりたいな~」
なんて 身の程もわきまえずに思っていました
その方の葬儀に参加する事になったので 柩の中のおばあさんを見せてもらいました
亡くなった人を悪く言いたくないのですが・・・
恐れに引きつった様な表情で とても納得して逝った様には見えなかったので
「あんなに 素晴らしい信仰心を持って生きた人が・・・ なんで・・・なんで」
その時の疑問は信仰を続けている時にもずっと持ち続けていました
思索をして また明日続きを書いていきます・・・
出来れば 自分の事として考えながら読んでくださいね
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