私事ですが、
これは自分の記録として、
また、手紙として
あえて書かせて頂きます。
興味のない方はどうぞ
スルーして下さって結構です。
11/9に、父方の父の妹である
大好きな叔母が急逝しました。
と言っても、
後から聞いた話では
一ヶ月くらい
入院していた様で、
めまいがするというだけで、
確実な原因がわからなかった中だったそう。
更に叔母の願いで、
周囲には知らせないでくれとの事で、叔父が一人で葬儀から納骨まで済ませ、先日、親父の方に連絡が来たとの事。
聞いた時は信じられなかったし、
今だに実は実感がない。
叔母といえば、
ラジオや取材でも話した事があるかもしれませんが、
元々ピアノの先生をしており、
高校でバンドを始め、
調子に乗って音楽で食ってく!と決め、
薬店を継がせたかった親は
もちろん大反対、
両親は叔母に相談、
知人であるジャズドラマー(のちの自分のいわば師匠)を紹介するので、その人に演奏を見てもらってダメ出ししてもらえば本人もあきらめるでしょという事で、
よくわからないまま
連れていかれ、
とりあえずなんでもいいから
叩いてと、
パンクをやってた俺は思い切り
8ビートを叩きまくったw
そしたら、これは練習すれば何とかなるかも?なんて、逆に両親を説得してもらい、以来22歳まで?ドラムを習う事になった。
なので、叔母さんは自分にとっては音楽の道へと切り開いてくれた人であり、周りに人が集まるその人柄や、
とにかく人が嫌がることはしない、言わないという教えなど、
思春期であれ、反抗期であれ、
当時、唯一心を許せた親戚でもある大好きなおばちゃんだった。
とにかく笑顔でいなさいと
会うたびに言ってたな。
両親の期待に沿えず、
色々迷惑かけたりして遠回りしたけど、quasimodeでデビューした時かな、やっとちゃんと報告でき、喜んでくれたのを覚えている。
そして、3.4年前かな、船橋の
ホールでの寺井さんのコンサートにやっと来てくれて
演奏を見てもらって、
終わってから外で会って話した
時に、確か、
凄かった!良かった!
安心したよと言ってくれたっけ。
それが最後になってしまうなんて。
その後、改めておうちに遊びに行くねなんて言ってたけど、バタバタしてなかなか行けず、そのうちに、コロナ禍になりそれも難しくなり、落ち着いたら行きたいななんて年賀状に書いたりしてたのだが、ついに再会は叶う事はなかった。
病気知らずだった叔母が
亡くなったというのが
信じられないまま、
週末、親父と行ってきました。
自衛隊の幹部だった義理の叔父も
病気知らずで、体も鍛え上げられ
ムキムキだった記憶しかなかったけど、一年前に膵臓ガンの手術をしたとの事で、すごく久しぶりに会った叔父はすっかりおじいちゃんになってたなあ。
叔父さんも親父の事、兄さんも
すっかり老けたなあと言ってたけど。
サービス付き高齢者住宅に住んでる為、コロナの影響で部屋にも上がれず叔母の生活していた場所も見れず、とにかく納骨したお墓へ。
跡取りがいないという事もあり
共同墓地に全て移したそう。
これからは、どんどんそうなっていくんだろうな。
でもポジティブに考えるとしたら、それぞれのお墓で長い事お墓参りに誰も来ないで、汚れたままになったりなどするよりも、
常にこうしてたくさんの人がお参りに来るのだから、それも良いなとおもったりもする。
お花とお線香をあげ、
手を合わせた。
おばちゃん、会いたかったよ。
ごめんね、少しでももっと会いに行っていれば良かった。
何処かで、今より更に成功したら、報告がてら行こうと思いつづけて結局会えずだなんて。
色々教えてくれた事、
しっかり体に入っているよ。
自分の性格はおばちゃんに
似たのかななんて思ってる。
もう一度、一緒に大笑い
したかったな。
ありがとう。
高廣