80年代、90年代、そして現代に渡る男性同士の愛と苦闘の物語です。当時の世情や同性愛者の権利運動など、イギリスの「パレードへようこそ」とカブる内容ですが、このフランス版はシリアス調です。今でこそ同性愛に寛容な国というイメージのフランスですが、昔も、今でさえそんなことはない、決してゲイにとってはパラダイスではないんだな、と思い知らされました。差別偏見が攻撃的なのが怖い。ヴィクトールのパパみたいな善良な人でも、ホモ=罪悪、病気、という思い込みが強すぎて、愛があってもありのままを息子を受け入れられない様子が痛ましかったです。

80年代はカミングアウト、90年代は同性婚と子ども(養子)問題、現代は同性カップルとその養子との軋轢。各世代のフランスにおけるゲイの生きづらさに、暗澹となる内容でした。希望よりも絶望、失望のほうが圧倒的に多い。一生クローズドとして生きるのも辛いけど、オープンにして堂々と生きるのも試練と苦難しかないイバラの道だな~。それでもありのままの自分を貫くことができるのは、愛とプライドがあるからでしょうか。ないほうが楽、でも失くしてはいけないと、ヴィクトールたちを見ていて痛感しました。

ゲイの苦悩や苦闘同様、周囲の人たち、特にヴィクトールを愛している家族や養子など、ゲイではない人たちの悲しみや苦しみも痛ましく、同性愛の何が悪い!権利要求!と声高に叫ぶゲイの信念や不屈さは崇高だけど、それに振り回される善良な人たちの気持ちや立場にも思いやりが必要、とも思いました。
それにしても。さすがフランスというか、同性愛描写が大胆で生々しい。これ、ほんとにテレビで流したの?と、にわかには信じがたいほどの性愛シーンあり。でもポルノめいたエロさは皆無で、あくまでリアルなセックス。セックスの最中、後にこんな様子、こんな姿ありえんわ、な嘘臭さがないところに好感。ヴィクトールとセルジュの愛も、大人になってからは恋人というより兄弟、父子、みたいな形に変容していたのも興味深かったです。老いて病気になったセルジュ容認で、ヴィクトールが他の男と寝るという関係も、いかにもフランスって感じ。

少年時代のヴィクトール役は、当時22歳のバンジャマン・ヴォワザン。カッコカワイい!スラ~っとほっそりした肢体、あどけなさが残る顔など、まだ少年って感じ。可愛いけど、あのトロ~ンとした眠そうな目とか、何か誘ってるようなエロさが。デビューしたばかりでも脱ぎっぷりがよすぎるバンジャマンくん。カムフラージュ用のガールフレンドや恋人のセルジュとのセックスシーンで、アソコも丸出しな全裸に。日本の若手イケメン俳優ではありえない潔さです。1話の主役だけど、2、3話には登場せず残念。

大人になったヴィクトール役のサミュエル・セイスも、なかなかイケメン。「落下の解剖学」でザンドラ・ヒュラーの夫役だった俳優。ぜんぜん気づかんかった。ヴィクトールの元カレも、タハール・ラヒム似のアラブ系イケメンでした。女房子どもがいるのにヴィクトールと元サヤとか、フランスではゲス恋愛=自分に正直、自由奔放、みたいですね。エマニュエル・ベルコとかキアラ・マストロヤンニとか、脇役の女優も好演してました。























