沖縄の新しい少女暴行事件については、分からないことがまだ多い。ただ、この間の情報を総合すると、外務省に主要な責任があるように見える。

 

 米兵による事件、事故があった場合の地元への通報、情報共有について、いまだ法的な裏付けをもった仕組みは存在しない。だから、米軍基地が存在する都道県の渉外知事会(14県)は、毎年、政府に出す要望書で、以下のことを求めている。

 

「基地に起因又は関連する事故が発生した場合、事故の大小にかかわらず速やかに事故等の情報を地方公共団体に提供するとともに、地域住民にも速やかに適切な情報提供を行い、二次災害防止のための適切な措置を取ること」

 

 この程度のことがまだ実現してないわけである。しかし、1995年の沖縄における少女暴行事件の発生をふまえ、97年3月の日米合同委員会で、米軍関係の事件・事故については「地域社会に正確かつただちに提供することが重要である」と確認されている(朝日新聞7月4日)。そして実際、これまで沖縄において重大な事件・事故があった際、県に通報がなかったという例はないと思われる(小さな案件は別だが)。

 

 日米合同委員会と言えば、一部の人にとっては、憲法を超越するような存在である。そこで合意になったことが実行されないとなると、いったい何がそうさせたのか、どんな力が働いたのか、真剣に追及することが必要だろう。

 

 今回の場合、直接には外務省が情報提供しなかったことで、このような問題が生まれたことは事実経過から判明している。問題が発生した直後の記者会見で、外務省の報道官は「常に関係各所への連絡通報が必要であるという風には考えておりません」と、自分は情報を把握していたが通報は必要なかったという認識を示した。それが通用せずに、いま政府や外務省がバタバタしているわけである。

 

 日米合同委員会で合意しても実施されないとなると、確実な通報体制づくりのためには、通報を法的に義務化するしかない。それしか向かうべき結論はないと世論が動いてほしいと思う。

 

 それにしても、外務省が主犯というなら、いまの動きから納得できる。現在、どんどん日米の軍事的一体化が進んでいて、外務省的な感覚では、アメリカの意向を抜きにしては日本の防衛はあり得ない現実が進行している。こんな時に、アメリカを刺激したくないという感覚が、日本の主権や国民の安全よりもアメリカとの関係が最優先の外務省のなかでは、少なからず生まれているはずだ。

 

 一方のアメリカにしても、日本の人質司法の現状を見ると、米兵をなんとか世界水準の司法で守ってやりたいという意向が強まる。事件を起こすの米兵個人なのに、その度に米軍全体に綱紀粛正が求められる現状をなんとかせよと、外務省に迫っていることと思う。

 

 上川外相は、情報提供の遅れを釈明する理由として「被害者のプライバシー」を挙げた。けれども実際のところ、上川氏が言いたかった本音は、「加害者のプライバシー」だったのではなかろうか。

 

 ここを乗り越えるには、日本防衛における日本の主体性の確立しかない。右の側は日米安保に頼れば防衛政策は不要だと考え、左の側は防衛政策を考えること自体が汚らしいので不要だと考え、こうしてみんなで防衛政策が不要だと考えていることが、アメリカにおんぶに抱っこの現状を生みだしている。その結果、いまの外務省のようになってしまう。

 

 表面的な動きから見えるのは以上である。それほど現実とかけ離れているわけではないと思う。

 

 産経新聞の大阪版の夕刊に3回連載された記事がネットにアップされています。長いですから、お時間のある時にでもどうぞ。党首公選主張で共産党「除名処分」の松竹伸幸さん 最高裁まで覚悟の法廷闘争と党の現状 一聞百見