今朝の「虎に翼」で尊属殺のことが描かれていた。尊属殺が合憲という最高裁の判決が下されたが、判事15人中、穂高判事ともう1人だけは反対意見書を書いたという話だ。

 

 その穂高氏が亡くなり、松山ケンイチが酒に酔って後を継ぐのだと息巻いていた。実際、松山のモデルになった人物が最高裁の長官の際(1973年)、刑法の尊属殺規定は違憲だという判決が下されることになる。きっと朝ドラではそこまで描かれるのだろう。

 

 その判例変更、違憲判決のために頑張ったのが自由法曹団の団員である。『憲法判例をつくる』(日本評論社)に詳しいので、関心のある方はどうぞ。

 

 朝ドラでは、当初は憲法という理想があっても、現実はなかなか追いつかない。しかし、少数意見であっても、ちゃんとそれを主張して頑張る人がいる限り、その理想は必ず達成できるのだということで、希望をもって描かれるわけだ。視聴者にとっては気持ちのいい朝である。

 

 けれども、現実はそう簡単ではない。歴史は少しずつしか動かないし、逆行する場合だってある。私が直面している部分社会論もそうだ。当初は、憲法32条に「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定されているので、誰もが裁判を受けられるのだと考えられていた。ところが、最高裁で最初は少数意見に過ぎなかった部分社会論が、やがては多数になっていき、政党をめぐっては1988年の袴田判決になるわけだ。

 

 その少数意見を最初に出し、やがて多数説にまで持っていったのが、最高裁の第2代長官の田中耕太郎だ。どこかでも書いたが、砂川事件で跳躍上告があった際の悪名高い長官である。

 

 朝ドラを見ながらそれを思いだし、ネットを見ていたら、寅子と田中長官も結びつきがあったのだね。『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)を書いた弁護士の佐賀千惠美さんがプレジデントオンラインで書いていた。

 

「嘉子さんはみずから『お決まりのルート』を恐れ、自分の次の異動先には家庭裁判所を希望しませんでした。そのきっかけは、『日本婦人法律家協会』が発足した頃、最高裁判所長官を囲んで行われた座談会でした。当時は2代目長官の田中耕太郎さんで、そこに嘉子さんも招かれたのですが、こんな言葉に耳を疑ってしまいます。

 『女性の裁判官は、女性本来の特性から見て、家庭裁判所の裁判官がふさわしい』

 そこで嘉子さんは『家庭裁判所裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別に決められるものではありません』と即座に反論したそうです。ドラマでも寅子は、女性ということで男性と違う扱いはしてほしくないと思っていますが、まさにそうした『はて?』ですよね。」

 

 あの田中耕太郎にその場で反論するのだから、寅子そのままだ。寅子が生きていて、私の事件の裁判官をしていたら、部分社会論など完全にノックアウトされるのだろうね。

 

 ところでこれを書いた佐賀弁護士の事務所って、私が会社に通勤する途上にあって、毎日見上げながら歩いていた。奇遇である。いつかご挨拶にでも行かなくちゃ。